俳優として活躍する傍ら、20年にわたり国際短編映画祭を主宰してきた別所哲也氏。アメリカで出会った短編映画に魅せられ、ライフワークとしてそれまでの映画興行にとどまらない展開を次々とカタチにしてきた。折しもネット社会において、ムービー=動画が主役となりつつある令和の時代の始まりに、ショートフィルムが活字業界にもたらす可能性について伺った。
(山口健)
ハリウッドでショートフィルムに出会う
――大学時代、元々中村雅俊さんがきっかけで俳優の世界に入られたと、以前お聞きしましたが。
そうなんです。慶應義塾大学で中村雅俊さんが先輩にいらした英語劇に出会わなければ、俳優の世界に入るというより、それこそ銀行とか商社に入っていたかもしれないですね。
そして、大学を出て俳優になろうと思っていた平成元年に、チャンスを頂いてアメリカに渡り、日米合作のSFXムービーでハリウッドデビューさせていただくという大変光栄なスタートを切ることができました。
――自ら映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル」を立ち上げられましたが、そもそもショートフィルムに興味を持ったきっかけは。
日本に戻ってきて、トレンディー俳優としてドラマに出たり、いろいろな映画に出させていただきましたが、ハリウッドと行ったり来たりしていた1997年に、ショートフィルムが面白いから観に行かないかと誘われて、渋々、カルバーシティー(カリフォルニア州にある映画産業の中心地)にあるソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントのスタジオに行ったのがきっかけでした。
そこは、メジャースタジオのプロデューサーなどが、新しい俳優や監督を発掘するために定期的にやっているものでした。ミュージシャンでいうデモテープみたいな、大学の卒業製作みたいな世界観でしたね。若手の監督や俳優が、それでスカウトされていくのです。
そのとき上映されたのは全米の監督たちの作品10本でした。それぞれ5分とか8分の作品でしたが、それがとても面白かったんです。
映画興行ではないビジネスモデルの可能性
――短い映画の中に可能性をみたわけですね。
小説にも短編があるのだから映画だって短くてもいいのではと、素朴な疑問がわきました。
もう一つ刺激を受けたのは、あの頃はWindows95 が出たあとで、音声の次は動画配信だということで、ロバート・レッドフォードが主宰するサンダンス映画祭に行ったら、シリコンバレーのエンジェルたちが5000ドルのチェックを切って、お前のショートフィルムを1年間僕に貸してくれと言っているんです。そういうことを映画祭で目の当たりにして、何かが変わるという予兆を感じました。
――それが99年の「ショートショート フィルムフェスティバル」に発展していったわけですね。
面白かったショートフィルムが、日本に帰ってきたらどこにもない。それじゃあ、小さな試写会でいいから俳優仲間や好きな監督たちに観てもらえる場づくりをしようと思ったのがフェスティバルを立ち上げるきっかけでした。
僕が俳優をやりながら、2足のわらじでこれまで映画祭ができたのは、ネットが普及したおかげです。当初、連絡はファックスでしたし、映画も全部フィルムで、税関を通してから「パチ打ち」といって字幕を焼き付けていました。
――ネットによって映像の世界も大きく変わりましたね。
映画祭をやってきた20年の間に動画配信のプラットホームが本当にたくさん生まれ、その背後にあるビジネスのあり方も変わってきました。
よくメディアウインドーといいますけど、ラジオがあって映画があってテレビが出てきて、そしてネットになった。
かつての映画の世界には五社協定などがあり、映画の人間はテレビなんかには出ないという風潮があったようですが、いまネットの番組はダメだというのと、フェーズの動き方がちょっと似ているかもしれません。
ただ大きく違うのは、テレビというメディアにはキー局がありましたけど、ネットは、1カ所に巨大なメディアがあるというよりは、アメーバ状態にあちらこちらに軸がある。一番シンボリックなのはYouTubeなんでしょうね。
ショートフィルムはビジネスとして拡大する
――YouTubeにアップされるショートフィルムについてはどのようにお考えですか。
ショートフィルムとネットは非常に親和性が高くて、ミュージックビデオやコマーシャル動画、最近だと取説ムービーとかレシピ動画とか、それぞれ望むもの、好きなものを動画化する玉石混交のものがYouTubeをはじめとしたネット上に溢れています。
その中で、物語性があって人の心を動かすものをどう価値づけして磨いていくかが、映画祭や僕ら俳優の役割だと思っています。
――ネット上の動画があふれる一方で、事業としての将来性はどうなのでしょうか。
事業としても伸びています。市場はこれからさらに広がると思っています。
いまは企業のコミュニケーションが動画化しはじめていて、ショートフィルムのノウハウを使った企業コミュニケーションムービーやマーケティングムービーとか、僕らが「ブランデッド・ショーツ」と呼んでいる世界が急速に伸びています。
ネット上でどういう物語を発信して、どういう共感を得るかということに、すごく伸びしろがある。
一方で、ミュージックもサブスクリプションの定額制モデルに変わってきているので、これまでCDを売るための広告ツールだったミュージックビデオ自体が、定額課金のショートフィルムになり始めているんです。
――映画祭にも商業的な動画が入っているのですね。
プログラムに「ブランデットムービー」として入っています。ネットで流す動画マーケティング用のコンテンツで、昨年はiPhoneで撮った中国の4Kのショートフィルムがものすごくドラマチックで素晴らしい出来でした。
企業の皆さんもEコマース、ECサイトをお持ちになったり、ダイレクトマーケティングツールの「オウンド(自社)メディア」を運営されているので、ショートフィルムを活用されるシーンが増えています。
ただ、映画祭自体は無料上映ですから、むしろ文化事業です。東京都の協賛金をもらったりしています。そして、ここから派生したショートムービーの制作事業とか、オウンドメディアのコンサルティングなどにつなげています。
映像配信環境の進化に、コンテンツ力が問われる
――新たな通信規格「5G」になるとますます映像の配信が増えますね。
「5G」によってさらに通信スピードが上がって、映像コンテンツはもっとインタラクティブになっていくと思います。eスポーツを含めて、垣根がなくなっていくというか…。
例えば、北海道と九州と東京にいる俳優と撮影隊で1本の映画が同時間帯でつくれたりするようになります。CGで会話もできるようになるし、それが突然eスポーツとつながって、こっちの人はゲームを楽しんでいるという環境ができたりと、そういう時代になると思います。
そういうときに一番大事なのは、やはり物語があることですので、僕たちクリエーティブサイドでは、人が共感できるキャラクターとか世界の人が理解できる普遍的なキャラクターがある物語を追求していくことがますます大切だと思います。
――グーグルやフェイスブックの人たちの話を聞いていると、数年後には圧倒的に動画が主流となるように感じています。
ですから時代は追い風で、ショートフィルムのノウハウは、すごくニーズが上がってきます。
それができるSEやクリエーティブサイドで頭の柔らかい人が集まって、プロデューサーがお金を集めプラットホームをつくり、キャッシュポイントをつくるというのは、これから一番楽しい分野ですね。しかもグローバルにできるので、マーケットは日本だけじゃありません。
その場合、最も重要なのが、プロデューサーと物語をつくる人、特に脚本家は、グローバルでも求められていると思います。技術はもうできてきているので、あとはクリエーションする人とマネタイズする人がそろえば、ということです。
新聞デジタル紙面、地域の物語に商機感じる
――新聞の持つコンテンツとショートフィルム、どんな取り組みが期待できるのでしょうか。
例えば、新聞には4コマ漫画があるじゃないですか。デジタル化されたアメリカの新聞の4コマ漫画は全部ショートフィルムになっています。それにスポンサーが付きます。
新聞社も、これからデジタルメディア化していく中で、クライアントからお金を頂いてこういうことをやっていくことが増えると面白そうだと思います。
表層的には広告モデルですけど、裏側でビッグデータを収集して、サブスクライバー(購読者)の属性に合わせて、商品やサービスを紹介すればいい。ビッグデータビジネスです。
――なるほど。新聞が持つコンテンツ収集力、編集力も活かせそうですね。
もちろんです。新聞社さんの素晴らしいところは、まず、トレーニングされた視点を持っているところです。言葉を選んでそれを表現する力は、そんなに簡単に手に入れられるものではないと思います。
僕は静岡生まれですけど、絶滅危惧種になりはじめている地域の物語、例えば民話とか言い伝えとか、昔話とかを地域の新聞社が集めていく必要性があると思っています。
その物語は地域の個性ですから、地場の鉄道会社やバス、タクシー会社などにスポンサーになってもらって、それを映像化していく地方創生ビジネスもあると思います。
僕がそれに商機を感じるのは、世界を歩くと日本の物語が聞こえてこないといわれるからです。
村上春樹さんや黒澤明監督だけではなく、もっといっぱい物語はあるじゃないですか。その映画化権を手に入れたいとか、面白いと思っている映像クリエイターが世界にいっぱいいるのです。ニーズは国内にとどまらないと思います。
まず、都道府県に声をかけ、そういうネットワークを持っている人たちと組みながら情報を収集して、アーカイビングする。それをデジタライズして海外にも出せるように翻訳して、まずは本で出す。そういうコンソーシアムをつくるにはどうしたらいいでしょうか。書店でも映像体験の場を
――書店での取り組みについてはいかがでしょうか。
映像を上映する設備を持っていらっしゃる大型書店さんも最近は増えていて、原作がある映画などを上映しています。
例えば書店さんで世界中のショートフィルムを上映することで、新しい層に来てもらう。また、書店さんでヨーロッパの童話とか絵本の特集をされて、そこでショートフィルムが見られる場所をつくるとか、子どもとお母さんの親子が映画体験をする時間をつくる…。
一方で、アクティブシニアといわれる方々はシネマ世代なので、映画を観たいという思いに応えるというのもあります。やり方はいろいろあるのでご一緒できることがあればと思います。多くの人にビジネス育ててもらいたい
――これからの別所哲也に何を期待しますか。
フェスティバルは20周年を迎え、仕組みができてスタッフもいます。僕は、創立者として一つの世界観を提示したつもりですけど、これから先は文化事業から発展して、ショートフィルムを使った新たな映像プラットホームとかビジネスを、いろんな人に育ててもらう時期だと思っています。そこから派生してさらにいろんなプロデュースが生まれると思います。
僕自身は演者として、表現者としてこれからどういうふうにしていくべきなのかということもあるし、情報を運ぶ人間としても何かいろんなことを発信したいですね。
別所哲也(べっしょ・てつや)氏
俳優・ショートショート フィルムフェスティバル&アジア代表。1990年、日米合作映画『クライシス2050』でハリウッドデビュー。米国映画俳優組合(SAG)メンバーとなる。その後、映画・TV・舞台・ラジオ等で幅広く活躍。99年より、日本発の国際短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル」を主宰し、文化庁文化発信部門長官表彰を受賞。内閣府「世界で活躍し『日本』を発信する日本人」の一人に選出。