『週刊文春』『文藝春秋』の編集長が社長なると言われてきた文藝春秋で2018年、経理と営業畑を歩んできた中部嘉人氏が社長に就任した。それからほぼ1年半、『一切なりゆき』の年間ベスト1、『そしてバトンは渡された』の本屋大賞受賞、「文春オンライン」月間3億PV達成など明るいニュースも多い一方で、低迷する雑誌の売り上げが書籍を下回っているとも。自らを〝軽い社長〟と呼ぶ中部社長に話を聞いた。
(聞き手・星野渉)
大学卒後は専門紙に入社
――文藝春秋入社にいたるまでの経歴を教えてください。
長野県で高校までを過ごし、新聞記者を志して同志社大学文学部社会学科新聞学専攻に進みました。在学中には映画、バンド、ミニコミのサークルを立ち上げ、8ミリ映画を撮っていました。そこはいまも映画のサークルとして存続しています。
新卒で入ったのは専門紙の電波新聞です。電機業界の担当記者やコンシューマー向けオーディオビデオ関係、専門小売店むけの雑誌を編集したりしました。東芝、三菱電機、松下電器の白物家電の新製品が発表されると開発者に話を聞く取材などもしました。
あの頃の日本の家電業界はすごい勢いがありました。VHS×ベータ戦争の真っ只中。ソニーは自信満々な方が多かった。「世界を席巻するんだぞ」くらいの勢いがありましたね。
業界の横のつながり心強い
――文藝春秋には中途入社だったのですね。どのような部署を経験しましたか。
平成元年の1989年に中途採用で入社しました。女性誌『CREA』が創刊された年です。翌年に『マルコポーロ』、『ノーサイド』、『サンタクロース』のいわゆる怒涛の三誌創刊を控えていたころで、人員を補充する必要があったのだと思います。営業、広告、デザイナーなども採用していましたから。当時は社員数400人でピークの時代でした。
経験も知識も全くありませんでしたが経理に採用されたのは、たまたま最終面接で「経理はどうか」と言われて「やります」と答えたからだと思います。
その経理はいったん1年半で卒業して、営業を13年やりました。その後は社長になるまでずっと経理畑です。
営業時代は雑誌も書籍も担当し、書店促進も兼務しました。内勤、取次営業、雑誌営業、取次部決を一通り経験しました。担当地区ももっていました。
そのときにお会いした書店の方々、他社の営業の方々には今も定期的にお会いしています。この業界の横のつながりは強く、本当に心強い。あのまま経理にずっといたら世界がずっと狭くなっていただろうと思います。
――2018年に社長に就任しました。文藝春秋の社長は『週刊文春』と『文藝春秋』の編集長を経験した人がなると言われてきました。必ずしもそうではありませんが、どう考えていましたか。
確かに圧倒的にそういう方が多いです。社長をやれと言われて私自身が一番驚きました。正直なところ「私でいいのか」と。私が社長になることはよもやないと思っていましたから。
書籍売り上げが雑誌を上回る
――経理の立場から文藝春秋という会社をどうみていましたか。
少し前までわが社は「雑誌社」と皆さんから思われていました。
定期購読でなくてもわが社の雑誌には基礎部数があり、その販売収入に加えて広告料収入もあります。このベースとなる売り上げが確保されていて利益が出ていれば、書籍は当たり外れがあるので、いい玉がなくても利益がきちんと生まれてきました。
ですが、実は既に書籍の売り上げが雑誌の販売収入を上回っています。特にここ2年ぐらい雑誌が右肩下がりで落ちている。社名誌である『文藝春秋』も漸減傾向にあるので必死で食い止めようとしています。
――落ち込みの原因はどこにありますか。
『文藝春秋』は読者の高齢化です。60代以上の読者が中心で、それより下の世代が触れることのない雑誌になってきている。『週刊文春』についてはあきらかにスマホの影響でしょう。駅のホームにも雑誌を売る駅売店が少なくなり販売拠点も少なくなっています。
「文春オンライン」月間3億PVに
――『週刊文春』はウェブ媒体の調子がよいですね。
今デジタルシフトを積極的に進めています。「文春オンライン」は17年1月にスタートしてPVが爆発的に伸びています。19年11月には月間3億PVを達成しました。
これはデジタルだけではなく紙の編集部の取材力が大きくものをいっています。11月に報じた沢尻エリカ逮捕も、Xデーが近々ありそうなことはかなり前からつかんでいました。過去に何度か空振りがあり今度もそうなるかなと思いましたが、取材チームの執念が実りました。
加えて過去に彼女を取材したネタのストックも紙の編集部には豊富にある。それを一気にデジタルメディアの「文春オンライン」でいち早く流し、1日で5000万PV以上稼ぐことができました。
文春に載っていることはガセではなく本当のことなんだ、とみられるようになっているのが強味です。実際に『週刊文春』が報じた記事で2週間で国務大臣が2人辞職しました。週刊誌メディアとして新聞、テレビにはできないメディアの存在価値を示しています。
また、「文春オンライン」は、ただスキャンダルを追いかけるだけでなく、それ以外にも読ませる記事を展開することで滞留時間を延ばしてPVを稼ぎたい。そうやってマネタイズして紙の落ち込みをカバーしたいと考えています。
――デジタルシフトが進むなかで、紙とデジタルの稼ぐバランスをどう想定していますか。
デジタルだけでいいとは考えていません。紙の形態のよさは否定できません。紙も歯を食いしばって出していこうと考えています。
実際にウェブが紙を抜く売上規模にはまだまだなっていません。紙の落ち込み分を稼ぐところまで成長してくれればいいですが、その途上であり、まだ読み切れないところがあります。
今後、ウェブメディアの広告モデルがずっと続いていくのかどうか。広告をブロックする動きも多くなってくることを考えると、別の有料課金モデルにシフトしなければいけないのかもしれません。
日経新聞電子版のような課金モデルが雑誌ブランドを中心としたメディアで可能かどうか。簡単なことではないが、研究し続けたいと思っています。
「文春digital」は若手のアイデア
――『文藝春秋』は課金モデルのデジタル配信を開始しましたね。
19年11月に「文藝春秋digital」を立ち上げました。『文藝春秋』本誌の記事がネットで月額900円で読めるサブスクリプションモデルです。
本誌よりもずっと若い30代以上の読者を狙っています。毎日本誌の記事を小出しに配信していて、過去のアーカイブも読むことができます。
どれくらい課金できるかどうか、試金石だと考えています。ただ、本誌とデジタル版は全く違う読者層なので既存の流通にマイナスになるとは思いません。当面は紙版と並走して進めていきますので、その分コストはかかりますが紙はしっかり守り続けていかなくてはいけない。
また、「文藝春秋digital」はピースオブケイクのプラットフォーム「note」を使っています。ピースオブケイクとの協業は『文藝春秋』の最若手編集者からの提案でした。
実は最初から「note」ありきではありませんでした。彼はデジタルメディア関係のいろいろな人に会う中で「note」に出会ったようです。我が社の未来を担う若手には、どんどん外のいろんな人に会って、いろいろ新しいことに挑戦してほしい。
――そのような若手の提案に対してベテランが嫌な顔をしたり、文藝春秋の看板が邪魔することは。
そういうことはありません。彼の直属の編集長も編集局長も彼の応援団になって役員会に提案を上げていますし、現場のやる気を一番尊重しています。
「note」との協業により、しっかり新しいビジネスを育てたいと思います。
〝文藝春秋〟の枠を取っ払う本出す
――書籍は調子が良いようですが。
書籍の売り上げが雑誌よりも多くなり逆転していますが、書籍が安泰というわけではありません。
確かに19年は樹木希林『一切なりゆき』が1年で最も売れた本、瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』が本屋大賞、李栄薫『反日種族主義』は40万部までいくなどヒットが続いています。
こんなにベストセラーが出たら、さぞいい年だっただろうと思われるかもしれませんが、そうではありません。
既刊本が動かなくなっているからです。書店でも文芸書の棚がすごく縮小されています。ベースとなる文庫の売り上げもかなり厳しくなっている。文庫の新刊で大きな作品がないと如実に数字が下がります。既刊の注文が少なくなりました。
読書に費やされる時間が少なくなったこともあるのでしょう。それを補うために書店さんと一緒に仕掛けることを常にやっています。
きっかけをつくって火をつけて広げていく。そこに新聞広告やSNS発信をつなげる。宣伝プロモーションに人的リソースを投入しています。編集の人間もただ本をつくって売ってくださいではもう通用しないことがわかっています。
コミックにも少しずつ参入して人材を投入しています。月1冊は展開していきたい。実用書『月曜断食』も話題になっています。
そのようなかつての文春らしくない、これまでなら企画段階で弾かれていたものに対しても、全くアレルギーなく進めています。いろんなジャンルで企画を出して文藝春秋の枠を自ら取っ払っていく本を出していきたいと考えています。
数字を公開し危機感を共有
――昨今の出版業界の状況からみて社内で危機感は共有されていますか。
そう思います。できるだけ数字をオープンにするようにしてきたことで、意識が変わってきました。
かつて編集の人間は「売れ行きに一喜一憂せずに、とにかく数字には惑わされるな。そうじゃないと面白いものは作れない」という風土が強かった。
ですが、平尾隆弘さんが社長をしていたとき(09~14年)に、新年のあいさつだったと思いますが、「もう牧歌的な時代は終わった」と皆の前で言いました。私はこのとき経理担当役員でしたが、その後から、全社員むけの決算説明会をやるようになりました。
それまでは、「役員はブラックボックスのなかで経営しているのではないか」という声をあげる中堅社員もいましたが、やはり現実を数字ではっきり見せると意識は変わります。
みんなのモチベーションは高い
――社長に就任してから1年半。手ごたえはいかがですか。
厳しい環境は続いていますがデジタル分野の数字は上がっているし、書籍もヒット作が続いているのはうれしいことです。
とても盛り上がったラグビーワールドカップのときには『Number』が完売、重版もして明るい話題を社内にもたらしました。光がみえることが育ってきていると思います。
社長になったからには風通しが良く、のびのびと楽しく働ける職場にしようと心がけています。役員・社員は皆モチベーション高く仕事をしていると思います。
社員も役員も「軽い社長だから自分たちがしっかりしなきゃ」と思ってくれているのではないでしょうか。
なかべ・よしひと=1959年生まれ。84年同志社大学文学部社会学科卒、89年文藝春秋入社、96年営業局雑誌営業部次長、04年経理局経理部統括次長、07年経理局経理部部長、11年経理局長兼経理部長、14年取締役経理局長兼経営企画室長、15年管理局長を委嘱、16年デジタル・メディア局長を委嘱、17年常務取締役経理局長兼経営企画室長兼管理局長兼宣伝プロモーション局長、18年代表取締役社長に就任