メディア企業が注目する読者課金モデル
出版プラットフォームのデジタル化が進む中、いまメディア各社がもっとも注目しているのが、サブスクリプションなど読者課金モデルだろう。背景には個人情報の取扱が厳しくなり、広告収益にだけ頼るメディア運営が見直しを迫られていることもある。年始に233人もの世界のメディア企業幹部へのアンケート調査が発表された英ロイター研究所の「2020年メディア予測」でも、5割の会社が「読者課金」を重要課題としてあげたほどだ。
堀鉄彦(コンテンツジャパン代表取締役)
動的課金が広げるサブスクリプション市場
米国ではニューヨークタイムズ(NYTimes)が昨年サブスクリプション契約数で490万を突破。新聞購読契約だけで342万もの読者を獲得した。米国ではダウンジョーンズグループが全体で350万、ウォールストリートジャーナル(WSJ)だけでもデジタル購読者数200万を突破するなどサクセスストーリーも目につき始めた。
日本でも、日本経済新聞がデジタル版購読者数で70万人を突破。また、シニア向け定期購読誌『ハルメク』が唯一部数を急速に伸ばし、実売30万部を突破した。女性誌トップの座を揺るぎないものにし、低迷続く雑誌業界で注目を集めている。メディアビジネスの成長エンジンとして、読者課金を軸にしたサブスクリプションモデル確立の重要性は高まるばかりだ。
AIが支えるダイナミックペイウォール
サブスクリプション成功のため、より効率的に有料読者を獲得し、契約離脱を防ぐための技術として、NYTimesやWSJなど、欧米のデジタルメディアがあいつぎ採用し、成果をあげつつあるのが、パーソナライズ課金を実現した「ダイナミックペイウォール」である。
「ダイナミックペイウォール」はその名のとおり、ペイウォールを読者ごとに切り替えて提供する仕組みだ。
これまでの課金システムは、有料コンテンツのみにする「ハードペイウォール」、無料コンテンツと有料コンテンツを切り分け有料契約に誘導する「フリーミアム連動ペイウォール」、一定本数まで無料で提供する「メーター制ペイウォール」などが基本。サイトに訪れる人が誰であったとしても、同じ挙動をする「条件固定形」だった。
これらに対して「ダイナミックペイウォール」は、ペイウォールに関するデータ蓄積とAI技術の利用で、読者行動に関するさまざまな予測と自動化が可能になり、実現した。
ペイウォール運用の最適化が鍵
WSJのシステムを構築したデータマネジメントプラットフォーム(DMP)会社シーセンス(2020年にメディア向けサブスクリプション最大手の米PIANO Softwareに買収され、現PIANO社)のホームページには、WSJが「最も会員登録する可能性の高い読者は誰か?」「いつ、どのような会員登録オファーをどのような読者に届けるべきか?」といったことを、分析しつつペイウォールの仕組みを運用していったプロセスが記載されている。
これによるとWSJは、読者属性とひも付ける形で「どういう読者がどこをいつクリックしたか」などのデータを蓄積しながら読者の行動分析を可能にするデータベースを構築した。
機械学習を利用して読者の行動を予測。サブスクリプションのオファーを表示する勧誘タイミングを算出したり、追加のサービスや特典を提示したりできるようにしたという。
WSJは、読者ひとりひとりが会員登録する可能性や、離脱するリスクを判断する形の柔軟なペイウォール運用を実現した。ユーザーの動きを予測するペイウォールマネジメントが成果を生み、読者を増やしていったというわけだ。
これまでの多くのメディアは「メディア企業側が考えたコンテンツ価値」に基づいてペイウォールを運用してきた。WSJは、ユーザー行動を予測してペイウォールの運用をリアルタイムに可変させ、成功に導いた。高度なAI技術がそれを支えたことはいうまでもない。
WSJなどの成功受け利用広がる
「ダイナミックペイウォール」について解説した米NiemanLabの記事によるとWSJは「WSJ.comへの訪問者を既存契約者かどうかで切り分けた上で、利用するOSやデバイスなど、60以上の項目をチェックしながら」ペイウォールの運用を行ったという。読者データファーストの発想でペイウォールの運用を調整し、サブスクリプション契約の拡大に結び付けている。
NYTimesやWSJに刺激される形で、ここにきて欧米では多くのメディアが続々と「ダイナミックペイウォール」を採用し始めた。米メディア情報サイトFolioによると、FortuneやWomen's Wear Dailyなども導入を計画している模様だ。
PIANO Japanの江川亮一社長によると「AIの予測精度は以前と比べてかなり上がってきていて、従来であれば利用が難しかった読者数の少ないメディアでも活用可能になってきている」という。
AIによるメディア運用のパーソナライズ、そして「ダイナミックペイウォール」の導入は、小規模なメディアにとっても身近な存在となりつつある。静的なペイウォールから、動的な「ダイナミックペイウォール」への流れはメディア業界にとって大きな潮流となってきそうだ。
パーソナライズサービス化が新規事業の起点にも
「ダイナミックペイウォール」に代表されるサブスクシステムの進化は、メディアビジネスへ今後どのような影響を与えていくのだろうか。
ひとつはメディアにとっては新規事業基盤としてのサブスクの可能性がより広がるということだ。パーソナライズされたメディアサービスの提供は、コンテンツだけでなくカンファレンスイベントやグッズ販売などのオフラインでの収益獲得にも当然つながるはずだ。
事実、NYTimesはサブスク基盤を核に有料のパズルやレシピコンテンツといった新規事業立ち上げに成功し、ハルメクは調査事業、イベント事業、さらには健康チェックキット販売などといった新規ビジネスの立ち上げに成功している。
もうひとつは、サブスク×広告の可能性だ。サードパーティクッキーの利用が難しくなる中、ターゲティング広告を打つには読者登録が必須。AI技術のサポートを受けたダイナミックなサービスメニューの展開で、単なる属性データ以上の読者データを獲得することになるだろう。D2Cビジネスの基盤にも利用できる可能性は高い。
プラットフォーマーに支配されず、メディアビジネスを継続するには、自ら読者データをマネジメントすることが必須要件。メディア×サブスクの可能性はまだまだ広がることになりそうだ。