雑誌、書籍、文庫、そして社長 筑摩書房・喜入冬子社長

2018年8月15日

 筑摩書房の社長に就任した喜入冬子氏は、雑誌『現代思想』『クロワッサン』『鳩よ!』、そして単行本、文庫と常に新しいことに挑戦してきた。「青天の霹靂だった」という社長就任も初めての経験。心境を聞いた。

 

喜入冬子氏

 喜入社長は東京の小金井市に生まれ、都立国立高校(国立市)から国際基督教大学(三鷹市)と武蔵野で育った。父親が光文社の編集者、母親は図書館員という環境もあり、大学卒業の頃は、「女性誌を作りたい」と出版社を志望した。

 

『現代思想』副編集長からマガジンハウスに転身

 

 男女雇用均衡法成立前夜、林真理子が初の単行本『ルンルンを買っておうちに帰ろう』を刊行し、女性と職業がテーマだった。そうした潮流の最先端に雑誌があった。

 

 しかし、女性誌を出していない朝日出版社に入社。配属された一般書編集部の責任者は『エピステーメ』を創刊し、後に哲学書房を設立する中野幹隆氏。1年半という短い期間だったが、第2期の『エピステーメ』や「週刊本」の編集に携わった。

 

 すると、不採用になった青土社から、欠員が出たと誘いがあった。ニューアカデミズム全盛の時代、『現代思想』編集部に。6年間携わり、養老孟司『唯脳論』など書籍も手がけた。最後の1年間は編集長代理を務めたが、マガジンハウスへの転職を決意する。

 

 「例えば、『現代思想』でアメリカを特集しようと思ったら、学会、大学で面白い先生を探すが、マガジンハウスだったらきっと、とりあえずニューヨークとかに行って、面白いものを探すんじゃないか。そういう世界も経験したいと思って、ギリギリ20代で転職した」。配属は後に社長となる吉森規子編集長の『クロワッサン』だった。

 

 同じ編集とは思えなかった。「編集者にとって一番大事なことは、カメラマンに気持ちよく写真を撮らせることだといわれて驚愕した」。自分で取材する、ロケハンする、モデルを選ぶ、原稿を書く、ページラフを描く、すべてが初体験だったが、「初めてのことばかりで面白かった」と前向きに捉えた。

 

 次第に、食品添加物やエコロジー、女性の生き方などジャーナリスティックなモノクロページ「女のニュース」を担当するようになり、4年ほどで書籍編集に異動。

 

 書籍は青土社で連載をまとめるかたちで数冊作って以来久しぶりだったが、著者とがっぷり四つで付き合い、1冊すべてを自分で作り上げて世の中に問う仕事に達成感があった。ここで、香山リカ、斎藤美奈子といった著者の作品を手がけた。

 

 さらに書籍部所属のまま文芸誌『鳩よ!』の編集長となり、今度は初めて文芸を手がけることに。リニューアルして、判型を小さくし、女性誌の文芸欄のようなイメージで、その頃新人だった角田光代、三浦しをん、中島京子などの女性作家に連載を頼み、書籍も出した。

 

 結局、『鳩よ!』は2002年に休刊。出版業界の景気も悪くなり始めるなかで、書籍で勝負しようと筑摩書房に転職。文庫編集部に。

 

 それまで文庫は作ったことがなかったが、「素材をアレンジする面白さがある」と感じた。単行本では、三浦しをん『星間商事株式会社社史編纂室』、杏『杏のふむふむ』といった売れ筋も出した。

 

 会社の印象は「良い会社だと思った。一般的にどの会社でもあるような問題はあったが、割と営業と編集が交流を持って、一緒に売ろうという姿勢があり、企画も自由に出せた」。

 

 前任の山野浩一社長が健康上の理由で退任を表明したのは株主総会直前。「全く想定していなかった」というが、「新しもの好きなので、業界の問題や流通の課題をどう乗り切るのかなど、いままでとは全然違うことを考えなければならないのも面白い」と話す。

 

 「かつては書評や新聞広告でみんなが書店に足を運び、ついでにほかの本も買い、情報を仕入れたが、いまはそれが崩れてきている。どうやって本の存在を読者に知っていただくかが課題」だと考えている。

 

 それでも、「小さいけれど、いろいろなことをやってきたので、苦しくなったときにひねり出すアイデアや、それを実行する機動力はある」というのが自社の強みだと見る。趣味は古武道、杖道5段の腕前だ。

 

きいれ・ふゆこ 1962年生まれ。84年国際基督教大学卒、朝日出版社、青土社、マガジンハウスを経て2004年筑摩書房入社、08年編集局第四編集室部長、13年取締役編集局長、18年代表取締役社長