学術系の出版社で25年間勤務した原宏一さん。30代の頃から漠然と「いつかは一人でやってみたい」と独立の気持ちを内に秘めていたが、社歴も重ねて管理職となり、職務に追われていた。50歳を目前に「ラストチャンスかも知れない。やりたい事をやろう」と決意。2018年3月退職。同年6月に「小さ子社」を立ち上げた。
初作品は2冊同時刊行
出版社勤務時代の人脈は大きな武器となり、著者の大学教授らに独立の報告をすると「原さんのところで書くから」と声をかけられた。初作品は『「甲子園」の眺め方―歴史としての高校野球―』(白川哲夫/谷川穣編)と『日本中世村落文書の研究』(薗部寿樹)、独立初出版としては異例のダブル発刊。
原さんが著者らと築いてきた「信頼感」の成果といえる。原さんは「先生方には感謝の気持ちしかない。出版しかできないから一生懸命やってきただけ。小さ子社の仕事は前職の人脈が大きな基盤になっていることは間違いない」と話す。
妻と「ふたり出版社」で軌道に乗せる
さらに、出版社で組版などの経験がある妻の知子さんも小さ子社を支える。原さんは「社内で組版やデザインができることは大きな強みであり、ありがたい」と感謝を示す。今年4月に刊行した『いのちをつなぐ動物園』(京都市動物園生き物・学び・研究センター編)は知子さんの日常的な人脈が出版に結びついた。
同園センター長の田中正之京大特任教授と知子さんが、同じ中学校のPTA役員をしていた縁で話が進み、「文系、理系の枠にとらわれない本を出していきたい」スタンスの小さ子社と、「研究する動物園」の点をアピールしたい園側の希望が合致した。同書は「動物福祉」の観点から京都市動物園の取り組みを解説した作品として注目が高く、地元紙、全国紙で書評が掲載された。
同社ホームページではYouTubeと連動し、作品を紹介している。また、制作した書籍関連のデータを「オープンデータ」として開示したり、日本史関係のデータベースを公開するプラットフォームを運営するなど積極的に情報発信する。原さんは「従来の完結したパッケージとしての『書籍』にとどまらない事業展開をしていきたい」と意図を話す。
最新作は『学校で地域を紡ぐ―「北白川こども風土記」から―』(菊地暁/佐藤守弘)。約60年前、京都・北白川の地で、子どもたちが地域の人々に聞き取りした話をまとめた郷土史『北白川こども風土記』は当時、学者をはじめ各所から絶賛された。
現代でもその価値は健在で識者らの関心は高く、学者、クリエーターら14人が風土記をヒントにこれからの地域のあり方、歴史・文化との向き合い方について語った一冊。執筆メンバーがYouTubeの同社チャンネルで本書のテーマに沿ったトークイベントも展開する。
ハイクオリティな京都の著者
原さんは会社員時代と独立後を比べて「今は良くも悪くも、失敗も成功も自分の責任という気持ちが強い」とし、「『山あり谷あり』というが、この2年は谷ばかりだった。しかし、ようやく軌道に乗りそうな感じがする」と手応えを掴む。京都で開業した理由については「とくに京都にこだわったわけではない」というが、「京都は優秀でクオリティが高い著者が多い。この点は東京以上のアドバンテージと考えている」と利点を述べる。
「小さ子(ちいさご)」は民俗学の世界で「外部者」を指し、一寸法師など未知の世界からやってきて活躍する姿をイメージして社名に付けた。原さんは「歴史でも目立つ大きな出来事ばかり注目されるが、『小さいものをしっかり見つめよう』という意識、まさに『小さ子』の精神で良書を出していきたい」と今後も知子さんとの二人三脚で歩んで行く。
【堀雅視】
小さ子社=京都市左京区田中北春菜町26‐21
電話=075(708)6834
『学校で地域を紡ぐ―「北白川こども風土記」から―』=A5判並製/408㌻/本体2800円