求められる「出来る状況づくり」
本コラムには、"地元力"と冠しているが、少し範囲を広げれば"地域力"となる。地域の持つ力は、人間力である。ちょうど、自民党の総裁選挙も、地方が争点の一つとなっているが、"国力"の源は地域力=人間力であるといえる。
筆者は、現在の疲弊した地方の状況を打開するには、「出来る状況づくり」という言葉こそが相応しい合言葉であると考えている。それは、「出来る環境づくり」とは異なる。すると、「状況」と「環境」の違いに触れなければならない。「状況」と「環境」という言葉は似ていて、詳しくは実存哲学や環境哲学の分野の対象となるが、環境に身を置く人間の内面との関わりに違いがある。
筆者がこの「出来る状況づくり」という言葉に出会ったのは、いまから10年以上前である。
千葉大学の教育学部では、年度末に全国の特別支援学校の教師が参加する恒例の研修会を行っていた。工学部の筆者は、特別支援学校中学部の研修授業向けに小型風車を手作りすることで応援を求められた。素材や器具をただ準備するのではなく、生徒たちが、風車づくりに飽きることなく、工夫して完成する喜びを身に着けさせることが、「出来る状況づくり」という教育方針であった。
この合言葉は、特別支援教育のモットーとなっている言葉だが、参加した教師たちに、「環境」ではなく「状況」という言葉を用いていることの違いを聞いてみると、意外にも「分からない」という。慣れがそうさせていたのかもしれない。
筆者は、「環境」と「状況」の違いを、次の図のように考えている。
「出来る状況づくり」は、適用範囲が広い。疲弊した地方は、まさに地元の町長も役場職員も、そしてそこに住む人も解決策を見いだせていない。単に、政府や自治体からの補助金をもらい、その時だけの地域活性化で元気を出してはいるが、一過性の元気でしかない。お金は継続する元気力とはならない。必要なのは、脳力であり、それが体力をつくる。補助金は、「出来る環境づくり」ではあるが、「出来る状況づくり」ではない。すなわち、内面から問題解決することが必要で、それには現状を見つめる視点が大事であり、さらに目標とする理想を描く必要がある。
茨木のり子と考える
少し飛躍するが、現状認識の変革には、男性社会という現状を女性の視点で見つめることが、その糸口になる。男性の社会の慣性を、女性の感性で再評価することである。しかも女性は、歯に衣を着せずに語ることができる。しかしその表現には、優しさと心に指す針先を隠しつつである。
茨木のり子という詩人がいた。亡くなって14年になるが、彼女が詩作に残したペン遣いは、上の好例となるだろう。『怒るときと許すとき』がある。
「女がひとり/頬杖をついて/慣れない煙草をぷかぷかふかし/油断すればぽたぽた垂れる涙を/水道栓のように きっちり締め/男を許すべきか 怒るべきかについて/思いをめぐらせている/(略) 今度もまたたぶん許してしまうことになるだろう/じぶんの傷あとにはまやかしの薬を/ふんだんに塗って/これは断じて経済の問題なんかじゃない/(略) 女のひとのやさしさは/長く世界の潤滑油であったけれど/それがなにを生んできたというのだろう/ 女がひとり/頬杖をついて/慣れない煙草をぷかぷかふかし/(略) 怒るときと許すときのタイミングが/うまく計れないことについて/まったく途方にくれていた/それを教えてくれるのは/物わかりのいい伯母様でも/深遠な本でも/黴の生えた歴史でもない/たったひとつわかっているのは/自分でそれを発見しなければならない/ということだった」
いま、社会はコロナ禍の中にある。わたしたちに求められているのは、その浄化である。そして、この時代に生きる力である。
そのヒントを探るべく、筆者の法人が、茨木のり子の詩をテーマとしたイベントを東京ウイメンズプラザで開催する。これも、女性参画による「出来る状況づくり」としたい。《コロナ禍の浄化を求めて 茨木のり子︱2020秋 「怒るときと許すとき」》
2020年10月9日、19時~20時20分、東京ウイメンズプラザ http://www.kofuza.jp/html/event.html
佐藤建吉 一般社団法人「洸楓座」代表
【略歴】1950年山形生まれ。東京都立大院卒。元千葉大大学院工学研究科准教授(金属疲労専攻)。金属疲労の研究のほか、他分野のテーマの研究開発に努めるとともに日本各地の地域おこし活動に従事する。ローカル鉄道と地元の酒蔵のコラボで地域再生を図る地酒「鐵の道」の製造・販売を企画、すでに10件を超える銘柄を送り出している。一般社団法人「洸楓座」代表。「全国ふるさと大使連絡会議」理事