工学系雑誌が発祥
父は製造業など産業界のニュースを扱う新聞社で記者として従事。培ったパイプを駆使して1934年、兼業で工学系企業や技術者向け雑誌『燃料及燃焼』を創刊。燃焼社が誕生した。その10年後に藤波さんが生まれるが、9人兄姉の末っ子ということもあり、自分が継ぐことになるとは夢にも思わず育っていく。
落語好きの少年、高校では自身でも演じていた。甲南大学在学中には、関西で人気を博した一般参加の演芸披露番組「素人名人会」に出演し、名人賞を5回も受賞した実力の持ち主だった。
落語のレベルの高さに視聴者らの反響も大きく、番組オファーが相次いだ。友人や大学の教員ら周囲は、藤波さんは落語家になると思っていた。しかし、サラリーマンの道を選び、コンクリートメーカーの会社に入社。「正座が苦手だったから」と笑うが、様々な思いから人生の選択をしたのだろう。
縦書きの本も出したい
出版事業は、父と長兄の二人三脚で進めていたが、長兄にはカメラマンになる夢があった。そこで藤波さんが会社を退職し、後継者の道を歩む。長兄はその後、新聞社主催の写真コンテスト審査員なども務めるほど著名なカメラマンになった。
出版は未経験の藤波さん。大阪の老舗出版社、創元社で3年間の修行に入る。燃焼社に戻り、燃焼系やボイラー技士用の雑誌制作に勤しんだ。しかし、文系畑の藤波さんは「工学系なんてよくわからない。縦書きの本も作りたかった」といい、今では工学系にとどまらず、歴史、心理をはじめ、文芸、教育、語学、医学など多岐にわたる。
自身が最も得意な落語関係では、4代目桂文我さんと昵懇の関係で『上方寄席囃子大全集』など多数の関連本を刊行する。「好きなものは何でも出す。ジャンルは選ばない」と藤波さん。
中でも歴史学者・荊木美行氏の作品を推薦する。94年刊行の『古代天皇系図―初代神武天皇~第五十代桓武天皇』、昨年刊行した『「日本書紀」に学ぶ』、『「播磨国風土記」の史的研究』が自信作だという。
活字文化伝える使命
藤波さんは「ジャンルは問わない」と言いながらも「著者が素晴らしい内容を書いても、装丁など見た目が悪ければ書店で手に取ってもらえない。そこをしっかり埋めるのが編集者、出版社の仕事」とこだわりを見せる。ただ、「自信を持って世に出してもすべてが予想通り売れるわけではない」と90年近い業歴を重ねても出版の難しさを語る。
また、「『儲けたい』と思うなら出版なんてしない方がいい。いい格好で言わせてもらえば、『活字文化を後世に残していく担い手』、それぐらいの心構えと矜持がないと続けられる商売じゃない」と自らの経験から話す。
1723(享保8)年、住吉大社と大阪天満宮に大阪の本屋仲間が初刷本を奉納する「御文庫」を建てたことに始まる「大阪書林御文庫講」では講元を務め、まさに出版文化の継承に寄与する。
毎年、甲南大学の新入生(約2500人)配布用に、甲南学園創立者・平生釟三郎(1866~1945)の伝記を制作し、母校の伝統継承にも貢献する。
噺家としての姿残したい
藤波さんは自身のことを「『大阪弁』と『上方落語』のことを日本で一番知る出版社」と自負する。近年、目にする機会が減った祭りなどの大道芸の情景を演じる「香具師(やし・テキヤ)」の口上はプロでも難しく、流暢に演じられる藤波さんは貴重な存在だという。
「今年はユーチューブを覚えて、『香具師の口上』を残しておきたい」と最後まで「噺家」としての意欲が前面に出るが、出版活動においても「何十年も自分のやり方で進めてきた。私も人の手法に口を出さない。今後も誰からも文句を言われず粛々とやっていく」と独自路線を貫いていく。
【堀雅視】