11月から年末にかけて開催した「ギフトブック・キャンペーン」は、本を「自分で読むモノ」から「贈るモノ」として、価値の創出と再定義を促すものであった。そして只今は、国語力の低下が叫ばれて久しい子どもたちが良い本に触れる契機とすべく、「こどものための100冊キャンペーン」の実施に向け鋭意準備中である。今回は、多くの著書やテレビ番組などで活字文化の大切さを訴えてこられた、教育学者で明治大学・齋藤孝教授から、まさに本キャンペーンへの応援歌となるお話を伺う機会を得た。
【聞き手=山口健】
本は親子で一緒に書店で買うべき
――核家族化により家庭での子どもの会話量が減少しています。一方でアニメやゲームなどに接する時間は増大しています。子どもを取り巻く社会環境の変化が教育に与える影響をどのようにご覧になっていますか。
活字は子どもの成長にとって大変重要だと考えています。どれだけの活字を読んできたかで頭の働きが変わってくるだけでなく情操面も育ちます。
本を読むにはかなり粘り強さが必要です。1冊読み通すのは毎ページ毎ページ、穏やかさを保つ、人の話をじっくり聴く訓練をしているようなものです。それを続けていくと情緒をコントロールする力がついてくる。簡単に言うと活字が前頭葉を育てるということです。前頭葉の働きが活発になると、感情面の抑制が利くようになる。そういう意味で感情を含めた人間性全体に影響を及ぼすのが活字文化なのです。
そして思考するためには語彙が必要です。活字になっている言葉は通常の会話よりもずっと語彙が豊富です。書き言葉ならではの言葉を覚えていくことも本を読むことの良さだと思います。
もちろん、現代においてアニメを見たりゲームをしたりすることが悪いとは言い切れません。アニメやゲームでも子どもたちの想像力ややる気を育てるものも当然あります。そういうものを禁止するというよりは、活字に触れる機会をどれだけ確保するのか。これが親や大人たちに求められている課題です。
そう考えると、親子の会話が減少している以上、家庭で子どもが1人で読書をする時間をちゃんと作ってもらうようにする。例えば親子で1週間に1度書店に行って本を選ぶ。「この1週間はこれを読もうね」といって渡す。そうすると1人でいても子どもはその本を読んで、親が帰ってきたら「どこまで読んだよ」「これに何々と書いてあったよ」と話す。それを義務としてではなくて、話すと楽しいというふうにしていくことがコツであり工夫だと思います。
私自身も子どもの頃は週に1度は親と書店に行って本を選んで買っていました。そういう経験からも、やはり一緒に買いに行って子ども自身が選ぶ、親の身銭を切るということが大事です。
本は図書館で借りても読めますが、私は三色ボールペンで線を引いたり、書き込みをしたいので、買った本しかなかなか読めません。やはり気持ちが違う。その後一生手元に置いておくかもしれないものですから。一生の友達になるような本との出会いで会話量の少なさをカバーしていく。本を媒介にした会話を家の中で作ってほしいですね。
教育に必要なのは「紙」の教科書
――電子的な文字と紙に印刷された文字を受容することの生理学的な違いについて様々な論議を呼んでいます。GIGAスクール構想が推進されようとする中、デジタル教材の取り組みについてどのようにお考えですか。
生徒がデバイスを1人1台持つというのはいいと思います。例えば、地理の時間だったらサハラ砂漠がいまどうなっているのかがちゃんとわかりますし、リンクをたどって知識をつなげていくことができます。現代においては情報機器を手元に置いて授業や学習を進めるのは効果的だと思います。
ただ、紙に印刷された文字には特別な価値があります。タブレットなどでスクロールして見る情報は日々目の前を通り過ぎていきますが、紙に印刷されればモノとして固定化されます。さらに自分の手で書き込みもできます。そうすると自分だけの本になる。この自分だけの本を持つことが大切なのです。
情報として捉えるのではなくて、自分にとってかけがえのないもの、肝に刻み付けるということです。そのためにはデジタルよりも紙の教材のほうがいい。
私は教職課程で中高の教員になりたい学生を教えていますが、そこで教科書はデジタルだけでいいか、紙の教材があったほうがいいのか100人に質問しましたが、全員が絶対に紙の教材があったほうがいいという考えでした。彼らはデジタル教材に触れている世代です。その結果、教科書は紙であるべきだと考えているのです。
心配なのは、教材をデジタル化していくプロセスで教科書も情報の海の中に埋もれさせてしまう可能性があることです。
文化を漏らさず継承することが学校教育の意義です。選び抜かれた知識をカリキュラム化して、世代を超えて生徒に届ける。これが学校の機能です。
その知識は情報機器を通じて得られる膨大な情報のことではなくて、教科書という枠に収められた必要不可欠な知識であり、教科書が絶対的な境界線を引いているのです。全てがデジタル化されて教科書という「モノ」がなくなった時に、はたしてどれだけ境界線を維持できるのか。「教科書」「資料集」「ためになる情報」がどれも同じように見えてしまいます。
何度も何度も反復練習をして、徹底的に身に付けるものが教科書の知識です。それを選び抜くために人類は努力してきたわけです。紙の教科書がもし国の予算の都合などで廃止されることになったら、信じがたい愚挙だと思います。
「ゆとり教育」のように教育の失敗は誰も責任を取りません。誰も責任をとらないようなことを、いい加減に決めてはいけません。
ですからデジタル化には賛成ですが、教科書に関しては絶対に紙の教科書を維持すべきです。もし紙の教科書が廃止されることになれば、次の世代から確実な知識を身に付ける機会を奪う可能性が高まり、取り返しがつかない負の遺産になってしまいます。そんなことにならないように国民的な運動を起こしたほうがいいと思います。
読解力養うのは小学2年生まで
――最近は試験などの問題文を読み解くことができない学生もいると聞きます。幼少期の読書体験が成長してからの読解力に影響するといいますが、具体的に何歳ごろに国語力さらに読解力が養われるのでしょうか。
就学前には絵本を中心に想像力を育てて、他人の気持ちを思いやることができるようにする。想像力を養い、いろいろな世界の状況がわかるようにする情緒面が大事です。
絵本というのは感情や情緒を育てるために非常に優れていますので、親が一緒に読むことによって、「こういう時にはこういう感情を持つよね、それは無理ないよね」という共感をもってその世界に入っていく。
その時に、現実の世界だけではなくて非現実にも展開して楽しくなってきます。楽しみながら能力、読解力を育てていくのが就学前から小学校2年生くらいまでです。
小学校に入ると文字を習いますから、音読することで日本語の書き文字に慣れていく。そうすると日本語の語彙がたくさん入ってきます。
小学校1年生だったら『蜘蛛の糸』のような作品をみんなで何度も音読する。『蜘蛛の糸』はわかりやすい話ですが、文章は非常に気品があって、教養ある語彙に溢れています。それを何度も読むことによって、最高級の日本語を小学校1年生から学ぶことができます。
いまの国語の教科書は絵や写真が多く活字の量が少ないですし かつては子ども版の文学全集があり小学生時代に一通り読むということもありましたが、現在は楽しいことが他にもたくさんあるのでそれも少なくなっていると思います。
ですから、読解力に関しては親がかなり意識的にカリキュラムを考えたほうがいいと思います。読む作品のレベルを少し高めに設定して、1年生なら『蜘蛛の糸』、大きくなるにしたがってレベルを上げていきます。
20歳を過ぎた子どもに読解力を付けさせようと思っても自分で学ぶ意識を持っていなければ難しい。後で取り返そうと思っても遅いのです。そういう意味でとりわけ大事なのは親と一緒に読める小学生までの間です。親と一緒に1日1章ずつ音読で読んでみる。
中学生になると思春期ですので親と一緒に読むことが恥ずかしくなる。そして物足りなくなります。この時期になると、親にとって子ども自身で読める本をセレクトしてあげる力が重要になります。
最初にいいワインを出すソムリエのように面白い本を1冊紹介できれば「次も」ということになります。いまは情報が行き渡っていますので、まずは多くの人が面白いといっている定番がある程度参考になるのではないかと思います。
家に絵本100冊が子育ての目安
――読み聞かせを行う書店も増えていますが、取り上げる本や、読み聞かせの方法などでアドバイスはありますか。
取り上げる本は定番を決めておいたほうがいいと思います。例えば書店がおすすめする100冊とか。そうやって読み聞かせの会をやると、絵本は一度読めば終わりというものではないので、子どもはそれが欲しいと思います。その本を手元に置きたいのかどうかという判断を、子どもと親が一緒に話し合って決めるわけです。金銭感覚も身に付きますし、真剣に考えることはいいことだと思います。
また、図書館で絵本を10冊借りてきて、親が読み聞かせてその中から「1冊買うとすればどれがいい?」という話をします。そうしてやがて家に30冊、50冊、100冊と並ぶ。私は絵本100冊というのが子育てにとって一つの目安だと思っています。
絵本が100冊あるご家庭は子育てをしっかりやっていると思います。お金をできるだけ使わないようにテレビを見せておけばいいということではなくて、お金をかけて揃えた100冊が家にあることが大事です。子育て中のご家庭で書籍にかけるお金は最も必要な経費だと思います。
その本棚がその人の教養です。そのような本棚があれば子どもの自信にもなります。いまは本棚を持っていない大学生すらいますが、私の学生時代は1年に1本ずつ本棚を増やすという感覚でした。そうやって読んだ本がいまでも自分の中に生きています。
書店はパブリックな教養の拠点
書店はその案内係になるべきです。読み聞かせの会をやって、子どもたちが一定の時間そこで過ごすということは、書店がパブリックな存在という意味合いが強くなります。
親は小さい子どもを楽しませるのがすごく大変です。行く場所も限られています。書店で無料の絵本読み聞かせがあれば、その時間、子どもたちはみんなと一緒に楽しむことができます。家庭とは違ってほかの子どもやお母さんたちと笑ったり驚いたり、共同主観性を身につけることもできます。
そして書店の良さは図書館と違って、その場で買うことができる商業施設だということです。書店はそういう取り組みを積極的にし続けることによって、街の教養の拠点として、教養を守り抜くという市民の思いが集まる場所になるべきです。
いまも書店さんはそれぞれ頑張っていらっしゃると思いますが、周りの人がそれを支えて、「街から書店がなくなったら困るから書店で買おう」と思ってもらえる取り組みをしなければなりません。その場合、読み聞かせのような、就学前から小学生向けのプロジェクトが一番効果的だと思います。
これは日本の未来を担うミッションです。仕事はただ経済的に儲かればいいというものではなく、どれだけ社会に貢献をしたかということが重要です。
書店は存在するだけで貢献していますが、十分ではないかもしれない。インターネットがこれだけ発達して、本はいらないと思う人も多くなっているわけですから、そこで「本っていいよね」と思わせるイベント的なものを、出版社と協力しながら増やしていくとよいでしょう。
文化継承が新聞・出版業界のミッション
――子どもの教育という観点からみて、新聞社や出版社、書店が果たすべき役割はありますか。
新聞社や出版社、書店は活字文化を支えていく、活字文化を支える最後の砦だという共通認識を持つべきです。
インターネットでも文字は読めますが、はたしてインターネットに人格がどれだけあるのか。私は『なぜ本を踏んではいけないのか―人格読書法のすすめ』(草思社)という本を出しましたが、本や新聞は踏めません。人格があるからです。その人格と向き合う時間が大切です。
いい本だから浸透させようとなった時に、新聞社や出版社、書店がそれぞれ協力しあってブームを作る。もちろん作品の力もありますけれど、巻き込み型のプロジェクトも活字文化の担い手としては必要だと思います。
活字業界が非常に厳しいことは確かですが、絶対に必要な文化です。活字文化が日本の識字教育の高さ、そして経済力を支えてきたからです。何よりも経済的な能力の前に何かを成そうとする「志」、そして今あるもの以外のものを生み出していく「創造力」が必要です。
判断力と誠実さと行動力、「智仁勇」を、活字文化を通じて深く学んでいくのが、かつての日本の教育のあり方でした。
江戸時代に寺子屋で使われた教科書を復刻したことがありますが、当時は10歳くらいまでに『春秋左氏伝』などを読んでいました。いまでは信じられないレベルです。
現代は文化の継承を甘く見過ぎていると思います。もっと大人たちが「このくらい読めて当然」「このくらい読んでいないと恥だよ」と、格式をもって子どもたちに向かっていかなければいけません。
それができない親御さんもいらっしゃると思いますから、それをカバーしていく社会全体の力が必要です。そこは新聞社、出版社、書店がミッションとして取り組んでいくべき仕事だと思います。
子どものうちに教養を身につけてほしい
――最近のご著書について、ご執筆の狙いなどを教えてください。
最近刊行した『小学生なら知っておきたい教養366』と『小学生なら知っておきたいもっと教養366』(いずれも小学館)は、子ども時代にこそ教養を幅広く身に付けてほしいという思いで出しました。
2冊読むと縦糸に横糸が入るように、教養が知識として絡み合って定着していきます。そういう織物のように知識を紡ぎ合わせることによって、しっかり自分のものになるのです。
大人が読んでも「ああ、これは知らない」ということがかなりあると思います。そして、文学、芸術、科学、あるいはエンターテインメントまで様々な領域を教養として捉えています。
限られた分野に詳しいこともいいことですが、やはり小学生のうちに幅広く知識のネットをつくっておくと、将来、いろいろなことを聞いたことがあるという状態になれます。
教養というのはいつでも身に付けられると思われがちですが、教養のある人ほどさらなる教養を身に付けやすいのです。
――当社が6月に行う「こどものための100冊キャンペーン」でもそうしたことを訴えていきたいと思っています。
本が1冊1冊、木のように心の中に生えていくと森のようになります。本で心の森をつくろうというコンセプトで、ぜひ人々の心に豊かな森をつくっていただければと思います。
――「本で心に豊かな森をつくろう」、素敵なキャンペーンスローガンをいただきました。ありがとうございました。
齋藤孝(さいとう・たかし)氏 1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業後、同大大学院教育学研究科博士課程、日本学術振興会特別研究員などを経て明治大学文学部教授。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。NHK Eテレ「にほんごであそぼ」総合指導。著書に『声に出して読みたい日本語』(草思社)、『読書力』(岩波書店)、『質問力』(筑摩書房)、『語彙力こそが教養である』(KADOKAWA)、近著に『小学生なら知っておきたい教養366』(小学館)、『小学生なら知っておきたいもっと教養366』(小学館)ほか多数