編集制作会社として2000年に創業した加藤玄一社長は「出版社になりたい」との思いから、あえて社名に「出版」と付け、いまは年間5~10点の自社出版物を刊行する。しかし、事業全体の60%をウェブ制作が占め、デザイナーを確保するためインドネシアに拠点を設けるなど、多角的なビジネス展開で成長。その基盤がユニークな出版活動を支えている。
同社は東京の神田神保町に本社を置くほか、インドネシアのジャカルタと静岡に支局を持つ。手がける事業は新聞や雑誌の広告デザイン・DTPオペレーションを行う「エディトリアルデザイン事業」、「雑誌・ムック制作事業」、「WEB制作事業」、「インドネシア事業」、そして「出版事業」だ。年商は約4億円。従業員数は2021年度に前年より7人増えHONDAのウェブを制作て45人と拡大している。
学生時代から本作りをするほど本好きだった加藤社長は、卒業後にいくつかの出版社を経て28歳の時に誘われて毎日新聞社出版局に入社。週刊グラフ誌『毎日グラフ』の記者として写真の仕事を中心に活動。38歳で大空出版を創業した。
HONDAのウェブを制作
創業当初は毎日新聞社のムックや角川書店の情報誌「ウォーカー」の編集受託が中心だった。
そんな頃、パソコンに詳しい人材が集まっていたこともあり、手がけた初心者向けの毎日ムック『パソコンを始めよう』が20万部を超えるヒットとなり、その後パッケージソフト、デジカメなどシリーズとして任されるようになり事業は軌道に乗った。
また、創業時からウェブのデザイン・制作の仕事を視野に入れていた。01年に角川書店「日刊ウォーカー」(現ウォーカープラス)でウェブの制作事業に着手。02年には、本田技研工業から自社チームが出場する海外レースのiモード向け速報アップの深夜に及ぶ仕事を請け負ったのをきっかけに、広報や新車発表のサイト、コーポレートサイト「Hondaモータースポーツ」などの制作に携わるようになった。
その後、西武ライオンズ公式サイト(~06年)や、社会福祉法人済生会本部のホームページ制作など出版業界内外でウェブの仕事を広げてきた。
インドネシアで若手デザイナーを育成
こうした事業を進める中、力を入れているデザイン事業での人材不足に悩んでいた加藤社長が目を付けたのがインドネシアだった。
「ウェブの仕事も多くなりデザイナーの人手が足りない中で、12年に視察したジャカルタにはデザイナー志望の若者がたくさんいました」。14年に現地のBINUS大学とインターンシップ契約を締結。15年にはジャカルタ支局を開設した。以来、インターンシップには年間10~20人ほどの学生が参加し、2カ月から6カ月間にわたりウェブ会議や日本訪問などで研修を行っている。
こうして育成したデザイナーを採用し日本本社に異動したり、いまは5人が現地支局に在籍しウェブ会議などを活用して東京のスタッフとともに仕事に取り組んでいる。「パソコンは万国共通ですし、いろいろとアイデアも出てきます」と加藤社長。日本の美術大学や専門学校とも付き合いながら人材確保に努めている。
『まだある』で自社出版本格化
自社出版は05年に第1弾となる『まだある』を文庫版(大空ポケット文庫)で刊行した。昭和の高度成長期に作られたロングセラー製品を写真と文章で紹介する内容で初版は3000部だった。しかし、自社ウェブだけでの販売ではほとんど売れず、近くにあった東京堂書店に持ち込んだところ1週間で50冊を販売。
これをきっかけに直取引で書店を開拓し、取り扱い書店は250店舗ほどに拡大。「まだある」は『文具・学校編』『生活雑貨編』『駄菓子編』とシリーズ化した。それでも出荷や精算などに手間がかかり「出張なども多くほとんど持ち出しでした」(加藤社長)という状態だったが、日本出版販売から書店でのフェア展開の提案があり、取次流通の道が開かれた。いまは主要取次で流通している。
19年には写真家の沖昌之による『にゃんこ相撲』と中村征夫『サンゴと生きる』で「写真絵本」というジャンルをスタート。同年創業20周年イベントとして「日本写真絵本大賞」の公募も開始した。
第1回の応募作320編から選ばれた金賞受賞作『うりぼうと母さん』は、20年12月に初版3000部で刊行し1カ月で重版する好調ぶりだ。現在は第2回大賞を公募している。
自社出版はいまのところ事業全体の1割にも満たない規模だというが、新たなジャンルの創設も含めて積極的に展開できているのはデザイン事業や編集制作、ウェブ事業という柱が育ったおかげだ。
多様な事業で自らのノウハウを磨き、人材を育成することで基盤を作ってきたことが、加藤社長の出版にかける思いを実現しているといえるだろう。