「衝撃的でした」──。経済記者歴20年の経験からしても、初めて踏み入れた精神医療の現場を言い表す適切な言葉はそれだった。東洋経済新報社の調査報道部が3年にわたって取材し、東洋経済オンラインで連載した「精神医療を問う」が書籍『ルポ・収容所列島』として3月に同社から刊行された。正当な理由とは思えない理由で「強制入院」させられた当事者からの手紙を契機に取材をはじめ、医療従事者らから理不尽な扱いを受けた経験者への長い時間をかけた聞き取り、開示に消極的な公的機関への情報公開請求などを駆使して、これまでメディアでほとんど明るみにでることのなかった現場を広く世に知らしめた。東洋経済オンライン連載中から反響は大きく、寄せられたコメントは賛否含めて900近く。取材の陣頭指揮をとった風間直樹調査報道部長(4月から「週刊東洋経済」編集長)に同書ができるまでを聞いた。【成相裕幸】
──ウェブ連載が始まったとき、東洋経済が精神医療をテーマにしたのが意外でした。
元々東洋経済は、経済誌のなかではかなり幅広い、社会性のあるテーマを取り扱ってきました。2000年代初頭に、全国各地の大学医局が崩壊して医師がいなくなる医療崩壊キャンペーンは東洋経済が仕掛けたものです。ただ、これまで医療に関する問題で、精神医療は触れたことがありませんでした。そもそも患者さんと接する機会がなく、医者自身がオープンにすることも少ないからです。今回、たまたま精神科病床の中でも閉鎖病棟で自分の意思で退院することのできない方から手紙をいただいたことが取材のきっかけです。
取材にあたっては、井艸恵美記者は、医療系ムックを編集していた前職時代から精神医療に関心があったと言っていましたし、辻麻梨子記者は、学生時代から調査報道を勉強していて情報公開請求に関しては私よりも詳しかった。取材チームは3人で、一つのテーマに集中して取り組むには適正な人数でした。
紙版から切り離して調査報道部が発足
──その手紙を読んで一つの企画となりそうだと思いましたか。
はい。まず、取材を担当した調査報道部の成り立ちから申します。週刊東洋経済は先に申しました通り、狭い意味での経済にとらわれず幅広い社会性のあるテーマで特集をしていました。一方、東洋経済オンラインが月間3億 PV を記録したり拡散力があるウェブメディアとして成長してきた。ただ、社内的には紙とデジタルが分離していました。
当時、私も副編集長として紙版の編集つくることが中心でした。その中で紙版の持つ問題意識をオンラインでも広げていこうという山崎豪敏編集局長の考えがあり、紙版から一度切り離した形で調査報道部を立ち上げました。
そこで、紙版の巻頭特集にはならないけれども、オンラインの読者に響くであろうテーマとして調査報道に取り組み記事化したのが、この本の6章の無料低額宿泊所(無低)の問題、そして、児童養護施設に入っている女の子が向精神薬の服用を強要されていたことなどでした。発足当初からこれまでの経済誌と離れたテーマをやっていましたが、ページビューもものすごく多く、こうしたテーマはオンラインでも合うとの意識は連載前からありました。
普通に生活を送っている人が「強制入院」
──本書では「長期強制入院」、「身体拘束」、「虐待横行」などにわかに信じられない現実が書かれています。
衝撃的でした。公表されているデータをみても、日本の精神病床は世界的に見ても多く34万床あり、28万人が入院しています(2017年時点)。海外ではかなり重度の方でも、自宅での治療が精神医療の主流となっています。
この取材のきっかけとなる手紙を編集局に送ってくださった米田さんは外部との接触ができない状態でした。主治医の指示で、親、兄弟、子供との面会も禁止で、電話やSNSも駄目。唯一法律上できるのは手紙のやり取りだけです。
取材前、正直私は「精神科病院への強制入院」に対して世間がもっているだろうステレオタイプな見方を持っていました。でも本当に普通の人でした。お子さんが児童相談所で突然死する大変な経験を持ちでしたが、手紙でも電話でもやり取りは普通に出来る。対面で2時間話しましたが、ちゃんとコミュニケーションもとれました。
普通に日常生活を送っている人が4年近くも強制入院させられていることが一番ショックでした。彼女が受けた「医療保護入院」の肝は、家族一人の同意と精神科医の診断があれば、本人の意思に反しても強制入院させられてしまうことです。裁判所が発行する令状も必要ない。家族と医者が「握れば」こういうことができてしまう制度があることに衝撃を受けました。
2章で書いた「精神科移送」では突然「民間移送会社」の見知らぬ男たちが自宅に乗り込んできて病院に連れていこうとします。当然普通の人の感覚でも正常な状態ではいられないでしょう。なのにその後の簡単な診察で、攻撃性や多弁があるなどとして総合失調症にさせられてしまう可能性があるんです。取材していくと、この制度をつかって財産目当て、子どもの親権目当てに悪用されているとしか見えない事例が散見されます。
──精神疾患がある当事者に取材するとき、どこまで事実として書けるか難しいところがあると思います。記事化するときに気をつけたことは。
記者と当事者の間にいる専門家、支援する医者、弁護士、支援者の方々など現状や実態を客観的に見られる人に入ってもらいました。コメントなどの引用は、専門家の複数の目からみて「ここまでは言える」というぎりぎりのところまでつめました。相手方が当事者に言っていないと主張していることについては本文に注記をしています。記事に説得力を出すために一番気を使ったところです。
私は20代前半の記者駆け出しのときに、偽装請負に関する記事でとある企業から名誉毀損裁判を受けました。当然、こちらに正義があると考えていましたが、裁判は一つ一つの事実に関する裏付けがあるかを事務的に詰めていく作業。一審では負けました。こちらからすると一見些細に見えることでも足元をすくわれてしまう。この時の体験は強烈にあります。
今回も記事公開前には自社の法務チームに必ずチェックしてもらいました。時には顧問弁護士にもみてもらいました。当事者の証言を裏付けるための反対取材も徹底しました。事実を書く上でやれることは全部やりました。その甲斐もあって連載中、記事の信憑性に関するクレームはひとつもありませんでした。
──こういう問題が起きたときに、行政や自治体のフォローが必要ですがそうは見えません。
そうですね。家族・病院・行政の魔のトライアングルに当事者が閉じ込められている。無低を取材した時の生活困窮者の施設に関することと構造は全く一緒です。厄介な人を厄介払いしてくれる便利な場所としか見ていない。日本の精神医療史上で最大級ともいえる不祥事を起こした報徳会宇都宮病院についても、私たちが告発するまでもなく行政に対して情報公開請求をすると、ダンボール一箱分の苦情が寄せられている。どんな状態なのか行政は知っているんです。ただ、これらの便利な場所や制度を手放す勇気はないでしょう。
日本弁護士連合会(日弁連)は、2021年のシンポジウムで精神医療について取り上げました。人権擁護大会では、精神障害者に対する強制入院制度の早期廃止を求める決議を採択しました。社会正義の実現を目指す弁護士が、この世界に介入していこうというのは非常に大きな力になる。支援団体も国賠訴訟をしています。これまで全くなかった当事者の声も上がり始めています。
制度の不備を指摘すること
──取材を通じて改めて精神医療関係者に言いたいことはありますか。
病棟に隔離収容することで本人の病気が治るのか甚だ疑問です。世界的な潮流を見ても在宅や地域の中で治療していこうという流れです。同様に日本でも入院より地域の中で治療が進む方が良いという流れが強くなっていくことが望ましいと思います。精神医療に特有の医療保護入院制度は最終的には廃止すべきだと考えます。もちろんそう簡単にはいかないにしても、少なくとも恣意的な運用を避けるためにも第三者の目が、より入る仕組みにしなければいけません。
──同業のメディアに対してはいかがですか。
こうした事態について私たち経済誌もそうですが、これまで一般メディアはほとんど取り上げていませんでした。声を上げたい人が上げられない、隠したい人は隠したい、そんな構図があります。精神科病院について朝日新聞記者が潜入取材して書いた「ルポ・精神病棟」は1970年の新聞連載です。その後50年、時が止まっている。精神医療がメディアで取り上げられたのは、最終章で書いた報徳会宇都宮病院の患者虐待事件が社会問題になった時ぐらいではないでしょうか。これは我々の責任でもあります。
一人の悪い医者がいるとか、一人のかわいそうな患者がいるというレベルの話ではありません。 精神医療の取材では、本当にその医者がおかしいと言えるのか、当事者の言っていることが信用できるかとか言われがちです。確かに個々の問題にするとつめきれないところが出てきます。
大切なのは精神医療に関する制度や仕組みがおかしいと指摘することです。強制入院に関しても、警察が同じようなことをしようと思ったら裁判所の令状が必要なのにその過程をすっ飛ばせてしまう。警察や裁判所担当の事件記者から見ても異様に映るはずです。そういう目で見れば関心を持ってもらえると期待しています。
──4月に東洋経済新報社の編集局が改組されます。風間部長は「週刊東洋経済」編集長に就任されます。
紙とデジタルを一体で作っていく体制になります。東洋経済統合編集部のウェブ媒体「東洋経済プラス」「東洋経済オンライン」が一体化します。
私は紙版の編集長となります。本誌デスクはオンライン記事のデスクも兼務します。今回の書籍の元となった精神医療特集は紙版の本誌では第一特集にはなりづらいですが、この改組でそういった調査報道もやりやすくなります。
週刊東洋経済に関わる私のキャリアを振り返ってみると、「薬局の正体」「宗教 カネと権力」「移民解禁」など経済誌の保守・本流のテーマとは違った特集ばかりをしてきましたので、編集長を打診されたときは、正直意外な感じがしました。
ただ、経済誌で売れ筋の同じようなテーマをやっていくだけでは先細りになってしまう。社内的に「チャレンジ企画」と言うのですが、幅広いテーマでやってきた東洋経済ブランドをより高めるために、たとえ売れ筋ではなくても打ち出していくべきテーマがある。ありがたいことに週刊東洋経済は全国の書店で流通していて、東洋経済の「フラッグ」を毎週立てることができる。すごくやりがいがあることです。
チャレンジして新しいテーマ切りひらく
それと東洋経済は一度定番と見定めたものの磨き上げに、無類の強さがあります。会社四季報や業界地図を見てもそうですが、競合がいなくなった後も手を抜いていないし、どんどん進化しています。本誌企画もそうです。今でいえば例えば半導体。この先10年見ないといけないテーマと見定めたら、年に1回必ず特集を作るつもりでいてほしいと担当記者に言っています。その両輪でやっていきたいという思いが強いですね。
編集部の中堅層が30代中心になって若返ります。私には思いもよらないようなチャレンジングな企画を出してくれるのを楽しみにしています。私自身、「薬局の正体」特集のときに、「こんな小さな話題を特集にするのか」と言われたことがありましたが、読み手がちゃんといて増刷にまでなりました。
この「ルポ・収容所列島」もチャレンジ中のチャレンジです。読まれるのだろうかというところから始まってオンラインで出してみるとすごく読まれた。チャレンジが新しいテーマを切り開いて書籍化に繋がりました。そういう体験を若手にもしてほしいですね。