【本屋月評】販売データの向こう側(伊野尾書店・伊野尾宏之)

2022年5月26日

 以前、週に1度程度来店されてフランス書院の文庫を買っていかれる年配の男性がいた。毎月の新刊の中から2冊ほどを選び、レジに持ってこられる。1カ月に複数回来店されて、結果的にフランス書院文庫の新刊を全て買っていかれることもあった。

 

 取次には書店の販売数が送られる。あるときから、全点各1冊だったフランス書院文庫の送品は各2冊に増えた。が、増えて間もなく、在庫が余り気味になった。あの男性が来ていない。気づくのは少し経ってからだ。われわれは「買われた」ことにはすぐ気づくが、「買われなかった」ことは結構時間が経たないと気がつかない。

 

 コロナ禍になって目についた変化は、日中に出歩く年配の人が減少したことだ。今から2年前、最初の緊急事態宣言が発令された頃、「不要不急の外出を控えるように」という小池東京都知事の要請があったあたりから一気に減少した。

 

 それまでは佐伯泰英の新刊が出る日は午前中がちょっとしたラッシュになったし、木曜日は週刊文春や週刊新潮を買いに来る方が多く来店された。そういった人出がずいぶん減ってしまった。

 

 現在ワクチン接種が広がって、年配の方の来店も以前よりは増えてきたが、文庫時代小説や高齢者向けの雑誌は以前のようには売れてない。佐伯泰英の発売日にももうラッシュは起こらない。週刊誌も余り気味だ。一度変わってしまった生活習慣はなかなか戻らない。

 

 書店の販売は苦しい。「鬼滅の刃」が爆発的なヒットをした2020年を除けば、売り上げは年々減少している。その上で地元の高齢者の方の来店も減っている。ある人は「ネットでの顧客取引を増やさないと」と言い、ある人は「無理しないで、やれる範囲で続けることが大事」と言う。何が正解なのかはわからない。

 

 ただ、街場に店を構えているのだから、街の人に寄ってもらえる店でいることが第一ではないかと思う。

 

 人生論や時代小説をよく買ってかれる年配の女性客が、伊集院静のエッセイをレジで会計している時に「はい、これ」と白いポリ袋を取り出した。「葉山の方の知り合いが送ってくれたの。私一人で食べられないから。すぐ悪くなるから、早く食べてね」という。中には保冷剤と冷たい発泡スチロールがあって、開けると生シラスが入ってた。

 

 しばらく販売0になっていたフランス書院文庫は、最近また少し売れていくようになった。以前とは別のお客様がついたのか、あるいは通りすがりのお客様が買ってるのか、まだわからない。「1→0→1」という販売データの向こうには人間一人一人の生活の変化と、行動の変化がある。

 

 

バックナンバー:本屋月評(伊野尾宏之
▼第1回(1月26日掲載)書店員になったきっかけ
▼第2回(3月3日掲載)店頭の音
▼第3回(4月1日掲載)既読にならないライン
▼第4回(4月28日掲載)「~さんと他252人があなたのツイートをリツイートしました」
▼第5回(5月26日掲載)販売データの向こう側

 

 

伊野尾 宏之(いのお・ひろゆき)

 1974年東京都生まれ。新宿区と中野区の境にある昭和の風情漂う街・中井にある本屋「伊野尾書店」店長。趣味はプロレス(DDT、全日本プロレス)観戦とプロ野球(千葉ロッテマリーンズ)観戦。ブログ「伊野尾書店Webかわら版」を時々更新中。

 

〈店舗情報〉伊野尾書店
 住所:東京都新宿区上落合2-20-6
 HPhttp://inooshoten.on.coocan.jp/index.html
 Twitter:https://twitter.com/inooshoten

 営業時間:最新の情報は「伊野尾書店WEBかわら版」に記載