「介護の本ってどのあたりにあるの?」
60代くらいの女性のお客様から問い合わせを受けた。店内を移動し、このあたりにありますよ、と介護関係の実用書を案内する。
女性は何冊か手に取ってパラパラ見たが、何か微妙な顔をされている。
「こういうのじゃなくて、もうちょっとエッセイみたいなのでない?」
あー、なんか親の介護のことを書いたエッセイがあったな…と思い、探しに行こうとすると背中から「こないだ上野千鶴子さんのを読んだんだけど、ああいうので」と二の句が飛んでくる。
上野千鶴子? 上野千鶴子が介護のことを書いた本なんてあったっけ? おひとりさまじゃなく?
一旦「介護」というワードを頭から消し去って、上野千鶴子の本を数冊お見せすると「これは読んだ」「これは知らない」とコメントがつき、そこから棚の本を見て、そこでお客様が「あ、これ。この人の本読もうと思ってたの」と言って差し出したのは樋口恵子の『老いの福袋』(中央公論新社)だった。
「こないだこの人(=著者)がね、テレビ出てたの。それで介護の話してて」
レジで『介護』というキーワードで本を検索していたスタッフが「それはわからない」という顔を一瞬私に向けてから、にこやかに会計した。
問い合わせで本を探すのは潮干狩りに似ている。
砂の上に出ている見つけやすい貝もいれば、砂の中を掘り返さないと出てこない貝もある。この時はたまたま砂の中から見つけることができたが、見つけられないときもままある。
本屋になってわかったのは、「正確な情報を持って買い物に来る人は全体の一部でしかない」ということだ。
「テレビでやってたんだけど」
「こないだ新聞で見たんだけど」
そこで発せられたワードがそのまま合ってることは、まず半数以下だ。だいたい何か違ってる。みな曖昧な情報だけ抱えて、本屋に本を買いに来る。
「自分が何を求めている」か伝えるのは、それほど誰でもできることではない。
「あのね、こないだ見たんだけど…」の先の言葉が出てこない人。ぼんやりしすぎて説明できない人。こちらから聞いた質問への答えが返ってこない人。
そうしたお客さんに接するたび、「コミュニケーションの難しさ」を実感する。こう書くとほとんどの人が「年配の人」をイメージすると思うが、年配までいかない年代であってもそういう問い合わせをする人はいる。
往々にして、仕事をしている社会人の人とコミュニケーションを取ることは楽である。話に入りやすいよう挨拶をしてくれ、かいつまんで要件を話してくれ、短時間にお互いの目的を擦り合わせて解放しようとしてくれる。
ところが店に来るお客さんはそうではない。
何の脈絡もなく突発的なことを言われたり、話の全体像がつかめないことをダラダラ話されたり、「買い物をする場」という認識がどこかに飛んでひたすら自分の「お気持ち」を語る。多種多様な人が来る。
正直めんどくさい。めんどくさいが、対応してるうちに「世界の一端」を見れたような気がしてくる。
世の中には「コミュニケーションがうまくない」人がたくさんいて、その人たちはその人たちなりの方法で何かしら伝えようとしている、ということだ。
一般的には大人同士であれば「聞けば答えが返ってくる」のは当たり前だと思われている。
それはまったく当たり前でない。
当たり前なのは「誰でも聞けば答えが返ってくる」ことでなく、「『聞いたことに対しての答えが返ってこない人』とともコミュニケーションを取ることで成り立つのが世界」ということだ。
そこを知ることができただけでも、私はこの仕事をしてよかったと思ってる。
▼第2回(3月3日掲載)店頭の音
▼第3回(4月1日掲載)既読にならないライン
▼第4回(4月28日掲載)「~さんと他252人があなたのツイートをリツイートしました」
▼第5回(5月26日掲載)販売データの向こう側
▼第6回(6月23日掲載:最終回)問い合わせ
伊野尾 宏之(いのお・ひろゆき)
1974年東京都生まれ。新宿区と中野区の境にある昭和の風情漂う街・中井にある本屋「伊野尾書店」店長。趣味はプロレス(DDT、全日本プロレス)観戦とプロ野球(千葉ロッテマリーンズ)観戦。ブログ「伊野尾書店Webかわら版」を時々更新中。
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