【寄稿】「わたしのタカラモノ」 メディアドゥ 取締役副社長COO 新名新氏 電子と紙の出版の幸福な共存を信じて

2023年2月3日

 古くからモノを蒐集する趣味のある人はいて、コレクター、趣味人、好事家、通(つう)など、彼・彼女らを表す言葉は数多くある。そんなさまざまな人々が集める品々を『わたしのタカラモノ』と題して紹介している。今回は、メディアドゥ取締役副社長COO 新名新氏に、貴重な本の数々と手がけた書籍について披露していただいた。(編集制作室)

 

新名新(にいな・しん)氏 メディアドゥ取締役副社長COO。1954年生まれ。上智大学文学部心理学科卒業後、80 年中央公論社入社。文芸編集者として吉行淳之介氏、筒井康隆氏、村上春樹氏、内田康夫氏などを担当。96 年角川書店に入社、2007 年同社常務取締役。14 年出版デジタル機構代表取締役社長に就任。20 年よりメディアドゥ取締役副社長COO

 

こだわりぬいた選書の数々


 「わたしのタカラモノ」が本稿のタイトルだが、ここでご紹介するタカラモノは正確には私だけのものではない。昨年9月に私の所属するメディアドゥは、東京・千代田区にあるオフィスの大規模なリニューアルを行った。


 社長の藤田が、お客様への創造的提案、それに基づく社員の自信と誇りを意味するCreation&Energyというコンセプトを掲げ、8階部分のかなりの空間を公園と図書館とカフェに改装した。


 最大1万5000冊を収納できる図書館には現在4000冊の蔵書がある。これらは私が1冊ずつ選書したので、今回はその蒐集物から「わたしのタカラモノ」をご紹介したいと思う。ちなみにカフェは、本への特別な思いをこめ、映画化もされたSFの名作にあやかって「華氏451」と名付けた。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチ関連の貴重な書籍を展示する通称「レオナルド・ダ・ヴィンチルーム」

 

レオナルド・ダ・ヴィンチの貴重なファクシミリ版


 一番のお宝はレオナルド・ダ・ヴィンチの全手稿を精密に複製したファクシミリ版のコレクションであろう。レオナルドの遺した手稿は約5千ページ、全体の3分の1ほどが現存していると言われている。この全てを複製出版しようという試みは、1964年イタリア大統領の命によって始まり、1990年代にフィレンツェの老舗版元GIUNTI社から世界限定998部で刊行が開始された。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿を精密に複製したファクシミリ版


 レオナルドが所持していた手帳は、形状や色まで正確に復元され、ぎっしり書き込まれた独自の細かい鏡映文字と詳細な図も見事に複製されている。これと、内容を活字に起こした分厚い解説本がセットで革装の凾に収められている。


 ミラノの図書館にあるアトランティコ手稿、フランス学士院所蔵のパリ手稿、ビル・ゲイツが保有するレスター手稿など名前の付いた10の手稿のほかに、欧米各地にあるデッサンも編纂され、コレクションに加えられている。国内でこれを全て所蔵している例はおそらくないと思う。


 また、アトランティコ手稿については、1872年版と、1894年~1904年版のものも展示している。さらに、戦前にまで遡って日本国内で開催されたレオナルド関連の展覧会図録という貴重品もある。

 これらのコレクションは全て、入念な紫外線カットを施した一つの部屋に収められている。

 国内で最も古い所蔵の書物は天明2年(1782年)刊の草紙本『豆腐百珍』である。今ふうに言うと豆腐のレシピ本であり、現代でもこれをオリジナルとして「豆腐百珍」と銘打った書物が多数出版されている。料理本界のレジェンド的存在だ。

 

豪華な装丁が美しい限定本

 

 文芸書に目を転じてみよう。ここでは三島由紀夫『仮面の告白』と辻邦夫『背教者ユリアヌス』の豪華愛蔵版が目立つ。前者は金属の枠にガラスの表紙という装丁で、しかもそのガラス面には目立たぬよう本文の一部が浮かんで見えるという凝りようだ。対して後者は、表紙全体を全て革でくるみ、本文ページの天地と小口を革に合わせた色で染めてある。さらに扉にはオリジナルの版画があしらわれている。それぞれ、限定千部と500部の発行である。

 

ビロードの函とガラスの表紙による三島由紀夫『仮面の告白』の豪華装丁本


 ほかにも、棟方志功の色彩豊かな装丁による谷崎潤一郎の『鍵』と『瘋癲老人日記』、華麗な装画が楽しい岩波書店の『千一夜物語』、銀色に輝く筑摩書房の『マラルメ全集』などが美しい造本で目を楽しませてくれる。

 

版画家・棟方志功の装丁による谷崎潤一郎の『鍵』

 

リアルな付属品にこだわった本

 

 1971年に二玄社から刊行された『世界名車全集』全8巻も見逃せない美しい本だ。クラシックカーの美麗な大判カラー写真集に30センチLPレコードが付属したものだが、聞こえるのはもちろん古い車のエンジン音や走行音である。当時高校生の私は、1巻4000円の価格でも頑張って買い続けたものである。

 

30センチLPレコードが付属する『世界名車全集』


 本に何かが付属する出版物として、実物の証拠物件が付いた『マイアミ沖殺人事件』などの捜査ファイル・ミステリーも貴重だ。1982年から中央公論社で刊行されたが、現場にあったマッチの燃えさし、血の付いたカーテンの切れ端などが綴じ込まれており、当時の製作部が大変な苦労をしたものである。


 これに触発された弁護士作家の故和久俊三氏から相談を受けて刊行に至ったのが、日本推理作家協会賞を受賞した『雨月荘殺人事件』である。


 刑事裁判で使用する裁判記録を忠実に再現したミステリーで、実際と同じく手書きで判子まで捺された供述調書、逮捕状などを完全再現し、解説書と併読すれば刑事裁判の概要が理解でき、かつ謎解きが楽しめるという趣向であった。

 

リアルな遺留品が付属された石ノ森章太郎の『死やらく生 佐武と市捕物控』

 

編集を担当した思い出の書籍

 

 私が直接関わった本も紹介しておこう。筒井康隆著『残像に口紅を』は初版が30年以上前の1989年、中央公論社の刊行であるが、近年TikTok書評で取りあげられたことが契機となり昨年復刻版が出された。この両者と、本書冒頭部分の生原稿も展示してある。

 

『残像に口紅を』連載時、筒井康隆氏による「作者のことば」


 本作は途中からワープロ執筆になったため、直筆原稿はこの部分しか存在しない。また営業の反対を押し切り、途中まで読んでつまらないと思った人には返金するという文言を添え、末尾の部分を袋綴じとした。当時6万5000部が発行されたと記憶しているが、実際に返金を求めて来た読者は皆無であった。


 同じく中央公論社刊のレイモンド・カーヴァー全集(村上春樹訳)も思い出深い。何しろ、著者の本国アメリカを差し置いて、世界で最初に刊行されたカーヴァーの全集だったのだ。


 当時販促に使用したいわゆる内容見本も合わせて収集してあるが、これはなかなか残らないものなので貴重であろう。装丁の和田誠氏が、ISBNのバーコードを入れるくらいなら自分は装丁を辞めるとおっしゃって困ったのもこの頃のことであった。

 

紙の書籍を蒐集する意味

 

 もちろん、電子出版の流通を主たる事業とするメディアドゥが、こうした多彩な紙の書籍を集めたことには意図がある。昨今の業界を取り巻く環境では、ここに集めたような凝った造本、美を追究した造本の出版物を刊行する機会が次第に失われている。出版社の若手のみなさんには是非こうした本を手に取っていただき、先輩方から受け継いだ本作りの技で紙の書籍の可能性をもっともっと追求してほしいと願っている。


 今になって気付いたのだが、こうしたタカラモノの一部は、現在我々が取り組んでいるNFT付の紙書籍に似ていると思いませんか。今後もさまざまな局面で出版のデジタル化は不可避であろう。しかし私は、紙の書籍の楽しさを追求することこそ、電子と紙の出版の幸福な共存に繋がると強く信じている。そのために私のタカラモノたちが、少しでも役だってくれれば嬉しいのだが。