【特集】株式会社アルク・吉村博光執行役員に聞く アルクの主力商品はこれからも「紙」の出版物 業績好調を受け「攻め」の戦略

2023年12月12日

 

アルクの吉村博光執行役員

 

 累計550万部超の「キクタン」シリーズや270万部超の「ユメタン」シリーズなど、各世代に選ばれ続けているロングセラーの英語学習書をはじめ、マルチリンガル学習書やビジネス書まで、数多くの刊行物を出版しているアルク。コロナ禍を脱却した今、2023年度上半期の実績が前期比115%超となるなど好調に推移している。同社の出版事業を統括する吉村博光執行役員は、縮小する出版市場の中で、営業や広告で「攻める」姿勢が必要だと強調する。出版社同士の連携、書店に対する思いなど、現状とこれからについて聞いた。【増田朋】

 

コロナ禍を経てV字回復

 

──御社の業績が好調に推移しているということですが、どのような要因があるのですか。

 

 現在の2023年度(23年5月~24年4月)は、上半期の実績が前年同期比で115・4%と伸長しました。新型コロナウイルスの感染拡大前の売上規模にはまだ届いていませんが、そこを目指してV字回復しているところです。

 

実績推移のサムネイル

 

 来年には創業から55周年を迎えますが、私たちは「地球人ネットワークを創る」を経営理念としてこれまで、英語だけでなく、日本語など多言語の教材を作ってきました。もともと編集部が積み重ねてきた質の高いコンテンツを生み続けてきた価値、ブランドがあります。

 

 そしてコロナ禍を乗り越え、いまやグローバル化が常識となった世界で、これからも事業ニーズは高まり続けると考えています。実際に人流は回復し、それに伴い語学学習の熱も高まっています。日本から海外に行く人々、インバウンドも増えています。おのずと海外の人たちと接する機会も増え、ロングセラーや新刊の商品が売れ始めました。英語の語学書はもちろん、日本語学校向けの日本語教材がすごく伸びていたりします。韓国やタイといったいわゆるポップカルチャーに引っ張られた需要増も見られます。

 

──そういったニーズをしっかりと捉え、売上増につなげる新たな戦略もあるのでしょうか。

 

 私は3年前まで大手取次で長く働き、辞めてからは食品流通に携わったり、インフルエンサーの出版社立ち上げに協力するなど、見聞を広めました。そして今年7月、この会社の執行役員として出版事業を統括する役目をいただきました。

 

 その際、以前からお付き合いがあった出版業界の方たちから「おかえり」と言われ、情報交換する機会がありました。そこで個人的に気づいたのは、現在の出版市場では営業や広告で「攻め」ている出版社の業績が良さそうだということでした。そして「守り」のプレイヤーが多い今の状況は、ゲーム理論でいうチキンゲームの状況に似ているのではないかと思ったのです。

 

──具体的にはどういうことでしょうか。

 

 縮小市場のチキンゲームで両社が「守り」に入ると、そこに「ナッシュ均衡」が生まれます。ナッシュ均衡とは、「各ゲームのプレイヤーがそれぞれにとって最も合理的な行動を取ろうとした結果、その状態で均衡すること」です。つまり両社が同じ行動、ここで言う「守り」をしていても、ともに均衡したまま局面は打開されないということです。そんな市場では他社と異なる戦略をとることが必要なのかもしれないと感じたのです(下記の図参照)

 

ゲーム理論のサムネイル

 

 もとよりアルクには50年以上かけて築き上げてきた「信頼」や、たくさんの数の刊行物を出版してきた価値ある「ブランド」がありました。前年度後半から業績が回復していたのですが、それはつまり編
集と営業が長年積み上げてきた価値が花開いたのではないかと私は推察しました。販売好調を受けて市場在庫が減り、前年度の返品率は22%台まで下がっていました。この点に対しても成長余地を感じたことも「攻め」の戦略を選んだ理由の一つでした。

 

返品率のサムネイル

 

 具体的には、数多ある実売率の高いロングセラー商品を積極的に営業や広告で仕掛けていく、という戦術を多方面で展開してまいります。そうやって「攻める」かたちを取ることでブランド認知が上がり販売につながるという考え方です。

 

 一方で守りのナッシュ均衡局面では広告コストも抑えられます。競合他社が控えるからです。長年アルクは新聞広告を出してこなかったのですが、10月から毎月全国紙に半5段以上の広告を出稿しています。そして今後も継続します。更に来年1月からは、ラジオNIKKEIの番組スポンサードも決まっています。

 

 今後アルクは、社名や商品を世の中に浸透させる努力を続けていきます。もともと商品力には絶対的な自信がありますので、認知度拡大が販売に直結するのではないでしょうか。書店様ならびに販売会社様におかれましては、引き続き、ご支援をお願いいたします。

 

他出版社に自社アプリ開放

 

──「攻め」の戦術で今後の成り行きに注目が集まりそうですね。

 

 ただ、これらが成功しても自社利得の最大化でしかありません。事業の永続性を考えると業界全体の利得を増やすことも同時に考えていきたいです。そのためには、全員が参加することで利得が増える「調整ゲーム」の要素が必要だと考えています。例えばアパレル業界ですと、その年の流行のカラーを事前にみんなで決めていたりしますよね。それによって、みんなが儲かる仕組みになっています。

 

 そこで他の出版社の皆さんにお薦めしたいのが、総合英語学習アプリ「booco(ブーコ)」です。すでに約90万ダウンロードされている当社の人気アプリですが、これを他社さんにも開放します。

 

 今、電子書籍はネット書店のアプリで読む形から、縦スクコミックに代表されるように、よりリッチな楽しみを提供する次のフェーズに進もうとしています。業界外プレイヤー(IT企業)のアプリが伸長していますが、コンテンツ提供者側の利益が低く抑えられているうえに、出版業界から人材が流出している状況があると聞いています。

 

 このように、本来業界内に落ちるはずの利益が外部に流出している現状を止めたいと強く思っています。「booco」を他の出版社にも開放し、しかも競合アプリより20%高いコミッションを払うことで、出版社全体の粗利を改善させたいです。「booco」には語学書付録CDの音源をアップする機能もあり、こちらも便利なのではないでしょうか。

 

 そういったことができるのも、私たちは出版社でありながらエンジニアを抱えているからです。他社のさまざまな要望に応え、自社で開発・制作できる強みをより生かして、業界内の利益が増えていく方向にもつなげていきたいです。

 

 ゆくゆくは出版社の書店営業を効率化するためのツールも開発したいです。例えば、書店営業で使える資料作成アプリなどがあれば便利ですし、それを他の出版社さんにも提供することもできるでしょう。当社の開発部隊が強くなっていけば、出版社同士の横のつながりをより強くして、業界全体の利得を上げることに貢献できると考えています。そうして、出版社が強くなることで、単価をあげたり、正味を変えることが可能になってくるのではないでしょうか。

 

 各社が参加して、業界全体の利得をあげる(利益とノウハウを業界内に蓄積させる)ためのプラットフォームとして「booco」を成長させたい。ご一緒するのは私たちと同じ語学系ジャンルの出版社でなくてもかまいません。この記事をお読みになり少しでも関心を持たれた出版社がいらっしゃれば、説明に伺いますので、ぜひご連絡ください。

 

紙の出版物で書店に利益を

 

──御社ではさまざまな事業を展開されていますが、「出版」はどのような位置づけでしょうか。

 

 私たちアルクの中核事業はあくまでも「出版」事業です。出版のために生み出された良質なコンテンツによって、お客様の信頼を得ることが全ての基点です。もちろん、いろいろなツールを使って学べることへの準備も、怠らないようにする必要はあります。しかし、語学書出版社の主力商品は引き続き紙の出版物であり、それがこれまでも、これからもアルクの「信頼」や「ブランド」のベースとなります。ですからこれからも出版を軸にさまざまな展開をしていきます。

 

 その意味でも、全国にある書店さんのおかげでこれまでやってこられましたし、これからも書店の皆さんの力が必要です。ぜひ変わらぬご協力をお願いしたいです。私たち出版社もお願いするだけでなく、ロングセラーや新刊といったより良い高実売商品をお届けして、紙の出版物でしっかりと書店さんや取次さんが利益を獲得できるよう取り組んでいきます。

 

仕掛け販売事例のサムネイル

 

──書店や紙の出版物に強い思い入れを感じます。

 

 11月に京都で開かれた「KYOTO BOOK SUMMIT(京都ブックサミット)」に参加し、作家の今村翔吾さんの話を聞きました。彼が言っていた「一人ひとりが良い方向に向かう気持ちを持ち続けること」という言葉に私は胸を打たれました。正確に伝わるかわかりませんが、数年前にハンナ・アーレントの本を読んだ時と同じような衝撃でした。

 

 私も含めた一人ひとりが「システムに寄りかかって悪を働く凡人」ではなく、1%でも良い方向に変えていく「自然人」であればと思います。自走するには労力も使いますし、旧態依然の状態からするとかえって「悪人」に見えるかもしれません。ですが、一人ひとりがそれに向かってトライしていかないことには現状は何も変わっていかないよと、今村さんから背中を押された気がしたのです。

 

──最後に。

 

 数十年前に作られたレベニューシェアの仕組みは古くなり、出版業界は流通側に利益が残りにくいシステムになっています。そんな現状は今すぐ変えなければいけません。立場的に私は自社の利益を守らなければなりませんが、包括契約や実売報奨には常に前向きに取り組んでまいります。

 

 またこれは私の経歴のせいもあるかもしれませんが、他の出版社に対して「競合」という意識は薄いです。書店も取次も横の結束を作っています。業務提携も含めて一緒に業界を盛り上げていくことが重要ではないでしょうか。コロナ禍を経て、弊社の業績はV字回復中です。社内の人材はもちろん大事ですが、新たな人材も採用しながらともに会社を成長させていきたいです。

 

──ありがとうございました。

 

 

吉村博光(よしむら・ひろみつ)氏 株式会社アルク執行役員。大学卒業後トーハンに入社。海外事業部、EC事業部、ほんをうえるプロジェクトなどを経て、50歳で退職。その直後に新型コロナウィルスが感染拡大し1年間定職に就かず、HONZや週刊朝日、料理王国などで書評を執筆。「いわゆるニートですね(笑)」。その後、佐賀・白玉饅頭元祖吉野屋東京営業所や鴨ブックス副社長を経て、現職。