東日印刷グループの毎日新聞首都圏センターは、経営の多角化を図ることを目的に、新聞印刷工場の現場で働く社員の発案によるユニークな新規事業を始めた。本社がある川口工場(埼玉・川口市)内の製版室の一角に、きくらげの栽培庫を建設し、24時間体制の管理のもと無農薬のきくらげを大量に育てている。2月から本格的な栽培を始めたばかりだが、印刷工場内は優れた栽培環境が整っているため、3月中旬には最初の収穫を終えた。栽培庫の設置から生産、そして販路の拡大まで、いつもの新聞印刷の仕事とは〝ひと味〟違った新たな挑戦を取材した。【増田朋】

最新鋭の栽培庫内に置かれているきくらげの菌床(2月末撮影)
川口工場でのきくらげ栽培は、2023年度の社内公募制度による社員からの発案を事業化した2例目。第一弾は22年度に選ばれた海老名工場(神奈川・海老名市)での「メダカの飼育事業」。
きくらげ栽培を発案した毎日新聞首都圏センター川口工場の多久幸男印刷副部長によると、日本で流通しているきくらげの多くは中国産の乾燥きくらげで、国内産の生きくらげは希少性が高い。また、きくらげはビタミンDや、免疫力を高める成分なども多く含む。「食べる漢方」とも呼ばれ、健康や美容に良いと注目を集めている食材だという。
そんな栄養豊富なきくらげに着目したが、温度や湿度、コスト面などの問題からきくらげの国内生産者は少ないのが現状だ。「きくらげは夏場のきのこで、夏の期間以外は育ちが悪くなる。年間を通して生産するには、一定の温度と湿度、そして適度な酸素と一日数回の散水が必要となる。手で摘み取らなければならないため人手もいる」(多久氏)。

多久印刷副部長(右)と橋本取締役川口工場長
印刷工場内だから「できる」
しかし、そんな難題も新聞印刷工場だったらクリアできるかもしれないと考えた。工場内は、印刷品質を守るために温度と湿度が均一に保たれている。工場勤務の社員はみんな各種機械の取り扱いに慣れているし、新聞印刷で深夜でも宿泊勤務者が待機しているため、散水を含めて24時間体制で管理できるからだ。
24年4月、まずは試しに工場内で120個の菌床を栽培し始めた。工場内の一室にビニールハウスを作り、下には子ども用のプールを敷いた。夜中も含めて3時間おきに水をあげるのも、35人ほどいる現場の社員が交代で手伝った。二酸化炭素の換気にも気を使った。そうやって手間をかけると、肉厚でぷりぷりとした触感の立派なきくらげが生産できた。収穫作業もみんながこころよく引き受けた。優れた栽培環境があり、ほかの社員の協力もある。年間を通して生産できる手応えを得た。
きくらげの菌床の栽培は通常、屋外のビニールハウスやコンテナを利用して行うことが多いというが、川口工場は製版機2台が置いてあった11m×12mの工場内の空きスペースに、最大5600個の菌床を収納できる最新鋭のきくらげ栽培庫(7・4m×11m)を建設した。気密性、断熱性の高い栽培庫には「環境統合制御システム」を導入。スマートフォンやタブレットで、いつでも誰でも栽培庫の環境をリアルタイムで確認できる。24時間365日体制で温度、湿度、CO2管理を行い、水も自動でまけるため、一年を通して無農薬の〝川口産〟きくらげが安定的に収穫できる。
最新鋭のシステムを導入した栽培庫だが、建設のコストは最小限に抑えた。そのためにシステムやパネルなどの選定も、いちから情報を集めて、業者に問い合わせていった。稼働式の栽培棚づくりや、LED、散水装置の設置まで、機械の取り扱いに慣れている社員たちで、できることは全て協力し合いながら進めた。
多久氏は「作業の効率化のために、菌床に一度で十数カ所の切り込みを入れられるカッターを自作した社員もいたり、工場のみんなでアイデアを出し合ったりしながら、本格栽培に向けて取り組んできた」と仲間に感謝する。
橋本透取締役川口工場長も、「本業はもちろん新聞印刷の仕事だが、厳しい環境の中でも(渡邊雅春)社長を中心に何か面白いことやろうとみんなに話して、さまざまな挑戦をしている。第一弾のメダカの飼育事業も、今回のきくらげ栽培も、社員みんなが意識を高く持ってくれている」と笑顔を見せる。

テスト栽培でできた立派なきくらげを収穫する多久氏
立派なきくらげの大量生産が可能
栽培庫には最大で5600個もの菌床が配置できるが、最初は640個を栽培。3月下旬には1000個を追加し、1カ月おきに1000個ずつ増やしていく計画。新しい菌床から3、4週間すれば、大きなきくらげが収穫できる。収穫すればまた出てきて、通常だとそれが5カ月ほど続く。ただ、川口工場は環境が良いので、収穫のサイクルはもっと早くなり、良いきくらげが、より多く生産できると見ている。
本格栽培を開始して1カ月ほど経つ。4月8日から一般にも開放されている東日印刷の食堂で、収穫したばかりの生きくらげを使ったメニューが食べられるフェアを予定。さらに、川口工場産きくらげの商品名を東日印刷グループで公募している。キャラクターの制作も検討するなど、「新聞印刷工場がきくらげ栽培」というユニークな新規事業を広くPRしていく。
収穫したきくらげは、東日印刷のECサイトでの販売やきくらげをメインとした加工食品を開発し、徐々に販路を拡大していく。物流会社を通して外食チェーンや居酒屋、スーパーなどにも出荷できるよう話し合いも進む。地元で採れる安心安全なきくらげに自治体も注目しているようだ。将来的には、学校給食への提供や、きくらげ採取の体験を子どもたちに提供するなど、信頼をベースにした「新聞」ならではの地域貢献事業に育てていくことも視野に入れる。
「新聞輸送のトラックに載せて、きくらげを新聞販売店で売ってもらってもいい。自分たちが作った新鮮なきくらげを読者の食卓に新聞と一緒に届けられたら」(多久氏)と夢は広がる。
「工場内でもできる菌床栽培を考えてきたので、きくらげ以外にもできる可能性は大いにある」と橋本工場長。全国から希少なきのこを取り寄せたりしているが、当面はきくらげに注力する。多久氏は「立派なきくらげが、たくさん生産できる見通しはついている。普通なら人件費がかかる収穫作業も、新聞印刷の合間に社員でできる。まずはイニシャルコストを3、4年でペイできれば」と考えている。
仲間とともに「やりがい感じる」
新聞印刷と違った仕事にも、「いちから調べたり、交渉したりと大変だが、話を聞いてくれた人に『おもしろい』とか『美味しい』と言ってもらえると、やりがいを感じる」と多久氏。何よりも「工場で働くみんなが協力的で、自分がお願いする前にいろいろと考えたり、提案してくれたりしている。新しい取り組みもやりやすい環境が整っている」と実感している。
橋本工場長も、「全国的に新聞印刷工場の数が減っていることは、社員の誰もがわかっている。ただ、いくらデジタル化が進んでも、紙媒体の大切さは変わらない。そのために新聞の印刷拠点は必要だし、長年培ってきた新聞文化を守らなければならない。新聞発行事業を持続させていくために、経営の多角化を図っていることを、社員みんなが理解してくれているからこそ、新たなチャレンジにも積極的かつ協力的だ」と、社員の今後にも期待を寄せている。