某月某日
「先輩の本棚」を全生徒・教職員などに2700冊配布いただいた御礼言上に、慶應義塾高校・阿久澤武史校長を訪ねる。40年前の劣等生、やはり校長室は緊張する。
3月に上梓された自身の著書、「キャンパスの戦争」(慶大出版会)を頂戴する。国際連盟脱退の翌年である昭和9年の日吉キャンパス開設から15年間の詳細な記録には、「加害」と「被害」、激動の昭和史が重なる。戦時中、連合艦隊司令部がおかれた地下壕こそ、封鎖されたその入り口の存在で周知されていたが、終戦後、キャンパス一帯が米軍に接収されたことは知らなかった。昭和24年に返還されるまで、教室にはベッドが並び、小講堂は映画室に。「ゲイムルーム」となった旧職員室からはジャズの音が漏れていたのである。
曾禰中條建築事務所設計による巨大な白亜の校舎は、往時と変わらぬ輝きを放っていた。
某月某日
全社会議。経営企画室長として星野が大きく予算を割り込んだ第1四半期の収支を解説した後、山口高範が分析(言い訳?)する。我々の強みを生かした取り組みで活字業界に貢献し感謝される存在になろうと、早々に締めくくる。
夕刻、銀座「上海ルージュ」にて暑気払い。鉄人(もはや若い人はわからないか?)脇屋友詞シェフの下で各店の料理長を歴任したナンバー2、沖倉康志料理長が腕を振るう料理は毎度ハズレが無い。
いつものように高級食材を使わない家常菜=家庭料理をお願いする。印象的だったのは、牛肉湯(牛すじ肉とトマトの蒸しスープ)、紅焼魚(ハタの醤油煮込み)、脆皮鶏(伊達鶏のクリスピーチキン)。締めの麻辣炒麺(黄ニラともやしのピリ辛焼きそば)も美味しい。
新人の志垣が剣道5段と自己紹介すると、大阪人・堀が「自分は剣道教室をサボってゲームセンターに行っていて、父親からごっつうしばかれました」と笑いをとる。
某月某日
上野「東天紅」にて小社主催の「第3回活字文化フォーラム」。ゲストお二人のおかげで、多くの参加者より好評を得た。概要は先週号で既報の通りだが、より詳細な内容は来月に掲載、お見逃しなく。
懇親会の冒頭、有隣堂・松信健太郎社長が「皆様のご多幸を祈念するとともに、活字業界に明日は無い、書店はつぶれても仕方ないと思っている方々におかれましては、ささやかなご不幸をお祈りして…」と乾杯、これはウケた。【代表取締役・山口健】