某月某日
年末年始は〝安近短〟を極めた結果、毎年東京で過ごしている。
大晦日は、ポン友夫婦と届いたばかりの『柿傳』のお節で〝忘年会納め〟。年越し蕎麦は、冷凍で届いた福井『宗近』の二八蕎麦に大根おろしと葱をどっさり、出汁をぶっかける。これは旨かった。
元旦。数えで97となる母と親子3人で『金田中』、墓参りの後、義弟と娘とは『東天紅』の〝浮世の義理〟で求めたお節を啄む。
夕刻に能登半島を襲った震災の映像に暫し言葉を喪う。コロナ後、いつもの正月が戻り、久々に集う家族、親族団欒のひとときのはず。何というタイミングか。心が痛む。
某月某日
落ち着いた頃合いかと、富山で書店を展開する文苑堂書店・吉岡幸治社長の携帯に電話する。
各地から大垣守弘会長ほか、「書店新風会」のメンバーに加えて、有隣堂・松信健太郎社長が社員10名を率いて駆けつけてくれたと。大垣会長と松信社長のリーダーシップに心より敬意を表したい。
本をよく知る人の手によって、書棚は一日で蘇った。素人では何処にどう収めるか右往左往していたはず。やはり餅は、餅屋である。スプリンクラーが散水、大量の水浸しになった店では、東日本大震災の折の久美堂・井之上健容社長の経験も生きた。吉岡社長には改めて話を伺い、豊川堂・高須大輔社長が撮影した現場の写真とともに来週号に掲載することにした。
餅屋でない我々は、先ずは義捐金を差し向けるしかないが、災害は必ず再び起こる。災害時の初動に資する情報共有、連絡態勢の仕組みを作れないものか…。
某月某日
ようやく冷え込んできた週末、大学時代の友人が単身赴任するマニラを4年ぶりに訪問する。日本から近く、英語が通じ、ホテルも食事も安い。この季節は特に過ごしやすいので、円安の今はハワイよりマニラへGO!なのである。
マカティなど中心部に高層ビルが林立する様は、東京やソウルにも引けを取らない。国民の平均年齢24歳、平均寿命は70歳に届かないから、何処も若者だらけ、ジジババはほとんど見かけない。
初日、世界三大夕日を望むマニラ湾に浮かぶシーフードレストランには、猛烈な渋滞で日没2分前に到着、慌しくシャッターを切る(もはや死語?)。2日目はコリアンタウンでサムギョプサル。日本人の倍近い現地韓国人も大満足のクオリティ。マニラ、お薦めです。