株式会社毎日新聞社
毎日新聞社(代表取締役:丸山昌宏)による新型コロナ写真企画の「『ぬくもりは届く』~新型コロナ 防護服越しの再会~」(取材班代表・貝塚太一=北海道報道部写真グループ)が2021年度の新聞界のグランプリ、新聞協会賞に決まりました。毎日新聞の報道が受賞するのは6年連続33件目で、協会加盟社の中で最多を更新しています。
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<内容>
新型コロナウイルスの感染拡大に見舞われた2020年。休校、マスクを買い求める人たち、外出自粛で閑散とする繁華街、変わっていく生活スタイル……。日常が激変し、見えないウイルスと闘う今を、写真でどう表現できるか。今まで問題のなかった撮影が制限されるなど取材環境も大きく変わり、毎日新聞東京本社の新型コロナ写真企画取材班では悩む日々が続いていました。
9月中旬、東京本社写真映像報道センターの竹内紀臣(たけうち・きみ)記者から「空気感染や飛沫(ひまつ)感染を防ぐ新しい防護服の初納入が、札幌の老人ホームになる予定です」と連絡がありました。竹内記者はテレビ番組で大型テントなどを製造する大阪の企業が宇宙服のような防護服の開発を進めているのを知り、土曜日夕刊の1面写真企画「読む写真」の題材にならないかと交渉していましたが、コロナ禍で東京からは移動しづらい状況でした。全国でいち早くコロナの感染が拡大した北海道で、「会えない家族」をテーマにした写真を撮りたいと医療機関や葬儀社に掛け合っていた貝塚太一(かいづか・たいち)記者が取材を引き継ぎました。
メーカーや購入した介護付き有料老人ホームの了承を取り付け、約1カ月後の10月29日。貝塚記者は同行取材を許可してくれた箕浦(みのうら)尚美さん(63)が、防護服に身を包む場面を動画と写真で記録し、一緒にエレベーターで母の中島万里子さん(90)の部屋へ向かいました。「いつも普通に会っていた」という母娘の日常はコロナで奪われ、8カ月ぶりの再会でした。
箕浦さんは、部屋へ入った瞬間、両手を広げて「お母さーん!」と声を上げて母に駆け寄り、互いの体温を確かめ合うように抱き合いました。箕浦さんより一瞬遅れて部屋に入った貝塚記者は、これまでの同行取材などでも衝動的に「抱き合う」という場面を見たことがなかったといい、想像していなかったシーンにためらいと焦りが生じつつも、左手の動画撮影用の小さなアクションカメラ、右手の一眼レフカメラで、2台を左右それぞれ必死に動かしました。
その後、母娘はベッドに腰掛けて、互いの手を取りながら8カ月の空白を取り戻すかのように話をし、その場面も撮影させてもらいました。中島さんの涙声に目頭が熱くなり、家族を引き裂くコロナ禍でも「会いたい」「つながりたい」という市井の人たちの強い願いに、心が震えたそうです。
母娘が再会して抱擁した一瞬は6秒間。一眼レフに付けていたのは24ミリの単焦点レンズで、ピントを浅く、シャッター音が響かない設定にしていたため、撮れたのは12枚。左手のアクションカメラが写り込んでいたり、ピントが微妙に合っていなかったりした失敗写真も多かったのですが、ピントの合った一枚の中に中島さんの表情を捉えたカットがありました。
「想定していなかった母娘の動きに機敏に反応し、人と人とが容易に会えない異常な日々と、それでも変わらぬ家族の情愛を一枚の写真で見事に伝えた。宇宙服のような防護服の一見ユーモラスな構図の中に、触れ合いを求める人々の切実な願いを写し出した。コロナ禍が続いた1年を象徴し、読者の大きな共感を呼んだ写真報道」と評価されました。写真と同時に撮影した動画は、米グーグルが、その年の象徴的な出来事をつないで年末に配信する映像コンテンツ「イヤー・イン・サーチ」の2020年日本版にも採用されました。
<取材班代表>
貝塚太一(かいづか・たいち、北海道報道部写真グループ)
2002年入社。大阪本社編集局社会部、同写真部を経て18年から現職。
<取材班コメント>
この一枚に写っているのは中島さんと箕浦さんの2人だけですが、その背景には母娘の愛情に加え、手探りの状態から防護服を作ったメーカー、入所者の感染防止に配慮しながら家族との面会を模索した施設の関係者らの「この世界を守りたい」という決意があると思います。その思いが撮らせてくれた写真だと感じています。
<毎日新聞社が受賞した過去の新聞協会賞>
1957年 「暴力新地図」「官僚にっぽん」「税金にっぽん」
1961年 写真「浅沼社会党委員長刺殺される」
1962年 北九州五市合併促進キャンペーン1963年 連載企画「学者の森」
1964年連載企画「組織暴力の実態」
1965年 企画「泥と炎のインドシナ」
1967年 黒い霧キャンペーン
1969年 紙上国会・安保政策の総討論
1979年 「埼玉県・稲荷山古墳の鉄剣から『ワカタケル雄略天皇』の銘」のスクープ
1980年 「早稲田大学商学部入試問題漏えい事件」のスクープ
1981年 スクープ記事「ライシャワー元駐日大使の核持ち込み発言」
1986年 スクープ写真「車イスの田中元首相」
1987年 連載企画「一人三脚・脳卒中記者の記録」
1989年 連載企画「政治家とカネ」
1992年 「リクルート ダイエーの傘下に」のスクープと一連の続報
1996年 企画「アウンサンスーチー、ビルマからの手紙」
2000年 「片山隼君事故」から被害者の権利と支援策の確立を追求し続けた一連の報道
2001年 「旧石器発掘ねつ造」のスクープ
2002年 防衛庁による情報公開請求者リスト作成に関するスクープ
2003年 自衛官募集のための住民基本台帳情報収集に関するスクープ
2006年 「パキスタン地震」一連の写真報道
2007年 長崎市長銃撃事件の写真報道
2008年 「アスベスト被害」一連の報道
2009年 「無保険の子」救済キャンペーン
2011年 「力士が八百長メール」など大相撲八百長問題を巡る報道
「3・11 大津波襲来の瞬間」をとらえたスクープ写真
2014年 認知症の身元不明者らを巡る「老いてさまよう」の一連の報道
2016年 連続震度7「奇跡の救出」など熊本地震の写真報道
2017年 ボルトも驚がく 日本リレー史上初の銀(写真・映像部門)
2018年 キャンペーン報道「旧優生保護法を問う」
2019年 台風21号 関空大打撃(写真・映像部門)
2020年 キャンペーン報道「にほんでいきる」
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